2012/12/09

後北条のページ


後北条= 小田原北条= 戦国北条
5代100年  【※】地図  北条五代


































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北条は、関東一帯に90以上の城を。

秀吉は家康と小牧・長久手の戦い。
長宗我部、島津、伊達、最後に、北条。氏政、氏直。
22万の兵。石垣山に一夜城。
1590年、これで日本統一。戦国から近世へ。

秀吉:検知と刀狩り。→ 武士と農民の分化。技術力+組織力=軍事力に。

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川合善明(川越市長)日誌 2012年

◆5月9日(水)
 5月3日、小田原市に招かれて「小田原北條五代祭り」に行ってきました。

 戦国時代後半、小田原城を中心に関東一帯に勢力を有した戦国大名の(後)北條氏にちなむ祭りです。

圧巻は北條五代武者行列で、小田原市民や北條氏の縁でつながる八王子市や寄居町の方々が武者姿で行列する参加者の多さに驚きました。

 川越も実は北條氏綱から氏直までの間、(後)北條氏の勢力下にあった時代があります(にわか勉強)。

 太田道真・道灌が川越(当時、河越)城を築いたのは主君の扇谷上杉氏の命によるもので、川越城は上杉氏の居城であったところ、1537年に北條氏綱に よって上杉氏が駆逐されました

その後、上杉氏が北條氏から川越城を奪還しようとして有名な川越夜戦(1546年)が行われました。
 8千の北條軍が、約8万の上杉・足利連合軍を破った川越夜戦の主戦場は、現在の東明寺の近くだったということで、東明寺には川越夜戦の石碑があります。
 というわけで、川越市も小田原北條五代祭りに招かれたわけです。
 
 今回、小田原へ行ってもう1つ驚いたことは、この祭りが小田原市観光協会の主催であることと、観光協会会長が私よりかなり先輩と思われる女性で、風魔忍者のいでたちで現れ、大変茶目っ気のある方であったことです。