2016/10/16

安定の支え失ったタイに必要な「国民和解」

安定の支え失ったタイに必要な「国民和解」
2016/10/15付 nk社説


 タイのプミポン・アドゥンヤデート国王(ラマ9世)が亡くなった。国民の敬愛をあつめ政治と社会の安定の支柱となってきただけに、これからのタイ情勢は心配だ。注視していく必要がある。

 1946年6月に18歳で即位した。立憲君主制に移行して15年もたっていないころで、体制は盤石とはいえなかった。実際、軍事クーデターと民政移管がくり返される不安定な状況がつづいた。

 そんななかで国王は政権に正統性をあたえる役割をになった。一方で、精力的な地方視察などによって多くの国民の心のよりどころともなった。70年あまりにおよんだ在位は、立憲君主制をタイに定着させたといっていい。

 カリスマ的な影響力を世界にみせつけたのは92年5月、政府と反政府勢力の衝突でたくさんの死傷者が出たときだ。双方の指導者を王宮に呼びつけ、ときの政権に退陣を命じて事態を打開した。

 63年に来日するなど多くの友好国を訪れ、タイの国際的な存在感をたかめた。インドシナで共産主義政権が相次いで生まれた70年代には、王制のタイが共産主義に対する防波堤となった。西側の一員となったことは経済発展に有利にはたらき、80年代からのめざましい成長につながった。

 この10年、タイはタクシン元首相を支持する勢力と反タクシン勢力の党派対立に揺さぶられてきた。混迷が長引きクーデターに発展した一因は、健康のおとろえた国王がかつてのように力強い調停役をつとめられなかったことだ。

 後を継ぐとみられているワチラロンコン皇太子に、プミポン国王のような求心力をすぐには期待できない。国民が精神的に動揺したり、服喪期間に経済活動が萎縮したりする心配もある。プラユット暫定首相はじめ軍事政権は悪い影響を抑える努力を求められる。

 大切なのは党派対立をやわらげる「国民和解」の取り組みだ。根っこにあるエリート層と貧困層の亀裂を修復する必要がある。

 それには幅ひろい意見を集約する民主主義の働きが欠かせない。来年にも総選挙を実施して民政に移管するという段取りを、着実にすすめなくてはならない。

 タイには4000社をこえる日本企業が進出している。中国がアジアの覇権を追う姿勢を強めるなか、日本にとって重要な外交パートナーでもある。タイの安定と民主化を手助けしていきたい。

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春秋
2016/10/16付 nk

 タイが経済危機に見舞われた1997年。その行く末をあれこれ論じているうちに、華僑の友人がつぶやいた。「この国のためには死ねないけれど、国王のためなら死ねる」。劇画のセリフのようだ、と内心で苦笑しながら、敬愛の念の深さに胸を打たれた記憶がある。

▼おなじころ、たくさんの外国人記者を前にアナン元首相がプミポン国王をたたえて口にした一言も、耳に残っている。「かれは最高だ」。いずれも英語だったから理解できたのだが、おそらくタイ語ならばもっと熱烈で、ずっと敬意にあふれた口ぶりになったのだろう。とにもかくにも、プミポン国王の人気は絶大だった。

▼カリスマは一朝一夕にできたのではない。政府の高官から聞かされたことがある。「われわれが知らないへんぴな地方の名前をあげて、以前はこうだったが今はどうか、と聞いてくる。あれほど地方の実情に通じた人は政府内にいない」。かずかずの地方視察をはじめ王としての職責に精励した姿が、国民を魅了してきた。

▼70年にわたってタイに君臨してきたプミポン国王が世を去り、心のよりどころをなくした人たちのことが思いやられる。やはり20年ほど前にバンコクの女性が語ったことばを思い出す。「国王が亡くなったら、この国を離れるわ」。ほほ笑みの国と呼ばれるタイだが、カリスマなきあとの不安感が漂っているようにみえる。

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