2009/01/31

ホームレス救済団体の思い違い

  • あるアメリカの団体ははホームレスの人々のために、食事と雨露をしのぐザービスを提供していました。
  • 長い期間、このようなことを続けていましたが、あるときこれらの人々に「何を望むか」のアンケート調査をしました。
  • わかったことは、 ホームレスの人々が望んでいたものは、「シャワー」と「ロッカールーム」でした。
  • 彼らは、その施設で食事をめぐんでもらって、寝るだけでは、飼い殺しになって、自分がだめになってしまうとわかっていました。
  • そこを脱出するためには、就職試験を受ける必要があります。
  • そのためには清潔な体にこざっぱりした服装のための「シャワー」、一時的に所有品を納する「ロッカールーム」が必要でした。
  • 相手目線、ユーザー目線、顧客目線の必要なゆえんです。

2009/01/30

聖徳太子:日本社会の徳目は「和」

聖徳太子(574ー622)は、「和」がなによりも大事なことを知っていました。
それゆえ 「和をもって尊しとなす」を十七条憲法の第1条におきました。
和とは、古代から現代に至るまで、日本人にとって一番大切な徳目です。
和は儒教の重要徳目である「仁・義・礼・智・信」のなかに入っていません。

このことは、和は儒教精神とはかかわりのないことを示し、日本が儒教国でないことを意味します。
聖徳太子の十七条憲法は、「和」「仏教」「天皇」からなっていますが、太子は仏教よりも、天皇よりも「和」を先に置きました。
十七条憲法は、公務員の心構えを示したものです。

日本のまた世界の社会が、企業が、地域が、家庭がこわれてしまったのは、和がなくなったからです。
パワーに物を言わせて、世界に「自由」「民主主義」を、また「市場原理主義」を押しつける時代は終わらねばなりません。
日本人は、1対1では外国人にかなわなくとも、5対5でしたら、圧倒します。
和の力です。

日本人の強みは、組織の構成員として、一種の『家族意識』を有することにある」 と経営学の神様ドラッカーも言っています。

◇                    ◆                    ◇

江戸時代が見直されています。

江戸時代には、地方分権が確立し、「地産地消」が当たり前でした。

幕府は企業のいいなりになったりしませんでした。
(経団連という不可思議な組織もありませんでした。)

エコ社会でした。
使える物は使い尽くす循環型社会でした。

武士も貧しく、大名も土地をもたない平等社会でした。

労働時間は4時間ほどでした。

「安心」「安全」「平等」そしてなによりも「和」のためには、「ゆっくり、ゆったり」社会が必要です。
というのは、しあわせは物ではなく心にあるからです。

明治以降の政府はみずからを正しくみせるために、江戸を悪く言い続けています。
江戸時代を見直すときです。

2009/01/28

健康お宅は不健康?

スポーツクラブのサウナで、やせぎすの年配者が多分ほめてもらおうと思って、健康そうな小太りの人に話しかけました。
  • やせぎす老人「今年はもうタバコも吸わなくなったよ。ビールものみたくなくなったよ」
  • 小太り中年「なにっ!飲みたくない!。
    そりゃ、やばいよ。
    ひょっとしたら、ひょっとするよ」
  • やせぎす(自慢げに)「体重も2キロ減ったよ」
  • 小太り「やばいね-。前みたいに泳いでいるの」
  • やせぎす「いや…」
  • 小太り「肌もつやがないよ。たるんでるよ」
  • やせぎすの健康お宅「…」
  • 小太りのスポ根男「だめだよ。ビール、無理しても飲んで体重ふやさないと。
    ほんとに、ひょっとすると、ひょっとするよ」
  • やせぎす「…」
  • ----------
  • スポーツクラブが「不健康センター」になったような一幕でした。
  • ただただ、健康お宅になって、体重、食事、運動に、ピリピリ神経質になるよりも、週に1度は好きなものを快食したりする方が、健康にはいいのかもしれません。
  • 〇〇療法が効くのも、本人が明るく信じていれば、心が体を治すからでしょう。
  • その意味では、健康強迫症になって苦しみながら健康法を守るより、ひょっとしたら、楽しく生きる小太り男の方が健康で長生きかもしれません。

2009/01/27

オオクニヌシ、出雲大社の謎

出雲大社の拝殿 http://goo.gl/LeMnD
スサノオの子孫の大国主命(オオクニヌシノミコト)は、出雲(島根県)を手中にしたあと、鳥取、兵庫、北陸、長野まで勢力下におさめた文字通り大国の主でした。
「命(みこと)」とは、高貴な人に対する尊称です。

ところが、高天原(=たかまがはら、神の世界)に住んでいた天照大神(アマテラスオオミカミ)が降りてきて(=天孫降臨)、国を全部譲れとせまりました。

アマテラスは、女神で皇室の祖先神とされています。
日の神として伊勢神宮にまつられています。
イザナギノミコトとイザナミノミコトのあいだにうまれました。
天照大神 【画像】

オオクニヌシはあらがいましたが負けました。

またオオクニヌシの次男も、戦いを挑んだが負け、諏訪湖まで逃げ、永遠に諏訪から出ないことで許しを得ました。

諏訪大社はオオクニヌシの次男・建御名方命(タケミナカタノミコト)をまつる神社です。

オオクニヌシはアマテラスに破れ、「現世から退き、あの世(霊界)のことをする」ことになりました。

縁結びなどもあの世の領分だから、これ以降、出雲大社は縁結びの神様として有名になりました。

◇                    ◆                    ◇

出雲大社には多くの謎が隠されています。
出雲大社の原型。島根県庁
まず、巨大な建物です。
雲太、和二、京三」(うんた、わに、きょうさん)とは、平安時代の日本の三大建築物のことです。
雲太→ 出雲太郎→ 出雲大社
和二→ 大和二郎→ 大和(やまと)の東大寺大仏殿
京三→ 京三郎→ 京都の大極殿(だいごくでん、御所の建物)
出雲大社は、高さが48メートルもあり、大仏殿よりも高かったです。

なぜ、朝廷の反逆者をまつる出雲大社は、アマテラスの子孫である天皇の御所よりも、また鎮護国家の目的で建てた仏教の総本山の東大寺大仏殿よりも、大きかったのでしょうか。

それは、激しい怨念を抱いて死んでいったオオクニヌシのたたりをおそれ、御霊(みたま)を丁重にまつるためだったからです。

◇                    ◆                    ◇

参拝者にそっぽを向かされているオオクニヌシ

出雲大社の本殿ではオオクニヌシは、参拝者にそっぽを向いてすわっています。

参拝者に向き合っているのは、アマテラス側の5体の神です。
なぜでしょうか。

それは、表向きにはオオクニヌシをまつることにして、人々をアマテラス側の神々に礼拝させるためのシカケだからです。

これらアマテラス側の神々(御客座五神、おきゃくざごしん)は、大怨霊オオクニヌシが地上に降りてこないように見張るいわば看守の役目をしています。

出雲大社は、オオクニヌシの霊魂を地上にださせないようにするための牢獄ともいえます。 

◇                    ◆                    ◇

また、オオクニヌシは西を向かされているのは、西が日の沈む方向であり、死の国の方向であるからでしょう。

アマテラス側としては、オオクニヌシには、生き返ってもらいたくなく、またこの世にたたりをもちこんでほしくないので、西を向いてもらっているわけです。

*     *     *

向きが逆のしめ縄
出雲大社ではしめなわの張り方が反対となっていて、中から見て左側で終わっています。

出雲大社は、伊勢神宮などの他の神社とちがい「死」の宮殿であるので、シメ縄の向きもほかの神社と反対になっているのでしょう。

日本では、死者に関係するものは、向きを逆にします。
死者には、左前の白衣を着せます。

北枕にします。

屏風(びょうぶ)は上下さかさまにします。

*     *     *

また、出雲大社での拝礼は「二礼、四拍手、一拝」です。 

ふつうは、「二礼、二拍手、一拝」です。

オオクニヌシが「死(=四)の国の王」であるので「四拍手」にしてあります。

オオクニヌシに「この世に戻ってはだめなのだ、そのかわり丁重にまつるから」ということを、何回も何回も自覚させるために、アマテラス側が多くの参拝者に死(シ)拍手を打ち続けてもらうようにしたのでしょう。

*     *     *

雲は太陽(=アマテラス)の敵です。
オオクニヌシが雲であることを示し続けるために、その地を「出雲」と定めたのでしょうか。

*     *     * 

出雲大社の神官(しんかん)は、天皇家と先祖が兄弟です。

アマテラスは、長男には家督を譲り、次男は出雲大社の神官にしました。

現代の神官は第84代にあたります(= 写真)。

激しい怨念を抱いて死んでいったオオクニヌシのたたりをおそれ、丁重にまつるための措置です。

◇                    ◆                    ◇

オオクニヌシのような大きな犠牲者を出せば、その鎮魂のために、出雲大社のような大きな社を建て、自分の子孫にそれを守らせるなどの莫大な犠牲をはらわねばなりません。

これ以降日本の歴史においては、「和」を守ることが、重要になりました。

【cf.】井沢元彦『逆説の日本史』(小学館)


出雲大社の公式サイト

出雲大社のページ

    2009/01/22

    外国人差別は日本人の権利:クラーク

    • Japan Times1月15日に グレゴリー・クラークが「Antiforeigner discrimination is a right for Japanese people、外国人差別は日本人の権利」と題して、あらまし次のような意見を述べていました。
      グレゴリー・クラーク 

    • 日本にいる欧米人の多くが、人種差別の点から日本を糾弾する。
      • 日本語のチラシを欧米人の自分には配ってもらえないと、人種差別だとさけぶ。
      • 欧米人が一人で電車に乗ったときそばに日本人が座らないと、人種差別だと訴える。
      • 特定国の名前を挙げて、鍵ピッキングやスリを働くということを取りあげると人種差別だと騒ぎ立てる。
    • 最近彼ら欧米人は、北海道の港町小樽で温泉浴場の外国人差別をいかに頑張って廃止させたかという話を、またもや持ち出した。
    • ロシア人船員たちの迷惑行為で破産寸前に追い込まれたという、ある温泉浴場の主人が、今度再出発した店から外国人一切を排除することに決めた。
      そうしたら、活動家は精神的苦痛を受けたという理由で訴訟を起こし、300万円の損害賠償を勝ち取った。
    • このロシア人の男たちを彼らの気の向くままにどの温泉でも自由に出入りさせよという要求は、とくに「湯の花」のような高級旅館では、ちょっと考えられない。
    • 伝統的な和式の温泉浴場で、日本的な穏やかな人とのふれあいを求めてやってくる一般の日本人客が、お風呂マナーをわきまえない、騒々しい、外国人闖入者から 逃げ出したくなる気持は、私はよく分かる。
      またロシア人だけを排除するのは不可能なので、すべての外国人とするよりほかないと思っても不思議はない。
    • どの国にも差別はある。マレーシアも、中国人や他の少数民族より、マレー人を優遇するブミプトラ政策で、その協定を無視している。
      団結を維持するためや不正義を防止するために、一つの集団を他よりも優遇する決定を下している社会の例は、ほかに数十にも上る。
    • ある種の外国人に対し場合によっては差別する権利を、日本人は持っていることを、われわれは認めるべき時だ。
      日本がそれをしなければ、日本もまたわれわれのような鍵社会、互いに疑いあう欧米社会のようになってしまう。そうなれば損をするのはわれわれみんなだろう。
    • ----------
    • 上に対して、18日には読者の声が掲載されています。1通はオーストラリア人からです。
      「Japan Timesは、西洋人からの差別問題を取りあげすぎる。
      なぜ西洋は日本を国際化したがるのか?
      日本がいやなら、よそへ行くがいい。
      日本はユニークなままにしておくのがいい。」

    2009/01/19

    荒川は埼玉の母:「川の博物館」。寄居町


    荒川の5流域
    1源流域、
    2河岸段丘域、
    3扇状域、
    4人口河川域、
    5 都市河川域 
    (*埼玉県立・川の博物館  2009年)



    川の博物館の外部
      


    鉄砲水の実験
    • 荒川とは洪水を起こしやすい「荒ぶる川」のことです。
      全国で33の荒川があります。
        
    • 埼玉を流れる荒川は、甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)に源を発し、流域面積は埼玉県の面積の3分の2を占めます。
      河川敷は日本一大きいです。
      「埼玉の母なる川」です。
         
    • 1910年、大洪水があり、そのあと荒川放水路が造られました。
      荒川放水路は今では荒川とよばれています。
      元の荒川は、隅田川になりました。
        
    • 埼玉の地形は三分されます。

          西部では山地帯
          中央部では丘陵地帯
          東部では低地帯

      です。
        
    • 荒川は、奥秩父の山々の水を集め、東流し、長瀞の景勝をつくり、寄居町(よりいまち)で関東平野に流れ出ます。
      このようなわけで寄居町に「さいたま川の博物館」があります。
        
    • 寄居町には水に関する観光名所がたくさんあります。
      風布川(ふっぷがわ)の日本水(やまとみず)は環境省の「名水百選」に選定されています。

    2009/01/17

    観光関係の新語

    以下は、「Yahoo!新語探検」よりを抜粋編集したものです。
    社会科見学ツアー
    団塊世代に向けたバス会社の企画で、国会議事堂や大手企業の工場見学、旧財閥の邸宅などを巡り、有名ホテルの昼食バイキングも含まれていたりする、日帰り が中心のツアー。料金は1万円程度。阪急交通社の日帰りツアーでは国会、最高裁判所、造幣局を回るルートで午前中にJR東京駅を出発してバスで移動、バイ キング形式のホテルでの食事も含まれていて夕方に解散する。はとバスは最高裁と「近代和風住宅」で、安田財閥の流れをくむ故・安田楠男の邸宅を巡る日帰り ツアーを大人7900円で企画している。クラブツーリズムは2008年9月に個人では見学手続きが面倒な防衛省見学ツアーを企画し、省内に移設された極東 国際軍事裁判(東京裁判)の舞台となった市ヶ谷記念館などの見学を行っている。東京駅を出発して静岡県や愛知県でトヨタ自動車やアサヒビールの工場を見学 する1泊2日のツアー(2万9800円)も売れ行きが好調である。
    ニューツーリズム
    従来の物見遊山的観光旅行に対して、テーマ性を強く打ち出し、人や自然とのふれ合いといった体験的要素を取り入れた新しい形の旅行。具体的には、エコツー リズム、グリーンツーリズム、ヘルスツーリズム、ロングステイなどが含まれる。つまり、従来の観光資源や観光施設に頼ることなく、地域の伝統産業や生活文 化をそのまま旅行者に体験してもらったり、一緒に味わったり、見てもらうという形式の観光旅行。地域の自然環境やそれと密接に関連する風俗習慣等の生活文 化を観光だからということで形を変えるのではなく、あるがままに観光する人に見てもらい、環境と経済を持続的に両立させていくことにつなげることが肝要で ある。エコツーリズムにおけるホエールウォッチングのような野生生物の観察ツアー、里山の植林や清掃などのボランティアツアー、そしてグリーンツーリズム の農山漁村において自然、文化、人々との交流を楽しむ滞在型余暇活動など、さまざまなものがある。
    産業ツーリズム
    歴史的、文化的意味をもつ工場や機械器具など産業文化財を観光資源として、観光客を集めること。こうした産業ツーリズムに欠かせないのが、農業・商業・工 業の3分野の連携。2008年 4月には、農林水産省と経済産業省が農商工連携で地域活性化に取り組む88の事業者を公表している。おもな事例としては埼玉県川越市の「川越芋を活用した ビールの開発」、宮崎県宮崎市の「IT技術を活用した牛の繁殖経営」、富山県富山市の「深海魚を使った栄養補助食品の開発」などで、こうした工場などを観 光客に公開することで、地元の活性化に結びつけたいとしている。
    ビジネス観光
    企業の報奨旅行や家族連れのビジネス客のための「観光」。企業の会合(Meeting)、報奨・研修旅行(Incentive)、国際会議 (Congress)、国際展示・見本市(Exhibition)の頭文字から、「MICE」ともよぶ。アメリカのラスベガスはカジノの街として知られて いたが、ホテルなどが積極的にショーを開くことによって家族連れの誘致に成功して、MICEの代表格といわれるようになっている。アジア各国、地域も MICEの誘致に乗り出し、フィリピンやシンガポールなどで、テーマパークやカジノなど娯楽施設を併設したホテルや会議場を続々と誕生させている。
    オタクツーリズム
    アニメや漫画のファンが自分の好きな作品に描かれた街を訪ね歩き、仮想と現実の世界を重ね合わせる行為。ファンたちは「聖地巡礼」とよんでいる。埼玉県鷲 宮町にある鷲宮神社は、埼玉県出身の漫画家・美水(よしみず)かがみがゲーム雑誌に連載している『らき☆すた』の舞台となっており、神社の神主の双子の娘 が登場する。この神社をファンたちは休日にカメラをもって訪れる。目の前の風景と漫画の場面を重ね合わせて写真に撮るのである。この「巡礼」を通じて同好 の仲間とも会うことができる。
    着地型旅行
    旅行のパック商品で目的地の旅行業者が企画した商品。従来の旅行パック商品は東京にある大手の旅行会社が企画するのがほとんどで、その地方における隠れた 貴重な文化などを見落としてしまうこともあった。また、大量販売を行って安価にしようとするために企画が型にはまりがちということも指摘されている。地元 の旅行会社は、地元で評判の美味しい料理店や地場産業の見学会など多様な企画を立てることができる。政府は2007年に旅行業法の施行規則を改正し、営業 保証金などが少ない第3種旅行業についてパック旅行(地元限定)の取り扱いを解禁している。
    企業訪問修学旅行
    中学や高校の修学旅行における企業訪問。修学旅行をきっかけとして生徒が将来の参考にしたり、視野を広げることができるようにという意図を学校はもってい る。先生が修学旅行を受け入れてくれる数十社の情報を生徒に提供。各班に分かれた生徒たちが自分たちの興味のある企業を選び、電話で予約を入れる。事前に 質問事項を企業に伝えておいて、現場でその説明を聞くという流れである。修学旅行で企業訪問が増えている背景には、学校側の思惑だけでなく、企業側の積極 的な売り込みもあるという。企業のイメージアップや自社製品のファン獲得、将来の優秀な人材雇用など狙いは様々であるが、修学旅行の行程の一部に自社を選 んでもらえるように学校を訪問して積極的に働きかける企業もあるという。

    2009/01/15

    2009/01/10

    天海、喜多院、徳川家康 

    喜多院前の天海像
    境内の慈眼堂(じげんどう)には厨子(ずし)に入った天海の木像が安置されています。
    • 天海を尊宗し信じ切っていた家康は、タカ狩りの時などに天海を訪ねたりしました。
    • 家康は本願寺を東西に分けたように、天台宗を2分しました。
      喜多院を東の比叡山と言う意味で、東叡山という山号にしました。
      (京都東北の比叡山は、京都を鎮護しています。)
    • のちに、天海は、江戸をまもるために江戸城東北(鬼門)の上野に鬼門よけのために寛永寺を建て、将軍家の菩提寺にしました。
      山号を喜多院から移し、東叡山寛永寺としました。
    喜多院前の日枝神社
    川越の日枝神社まえの告知板
    • 仏ばかりでなく、神にも江戸をまもってもらえるようにと、川越に習って、日枝神社も川越から分祀しました。
      日枝(ひえ)とは、比叡の神のことです。
      (川越は「仏」の喜多院と「神」の日枝神社によって鎮護されていることになります。)
    • 家康は将軍職を秀忠に譲っても大御所(おおごしょ)政治を敷き、天海を補佐官にしました。
    • 家康は、タイの天ぷらがあたり、自分の死に及び、病床に3人をよび遺言を残しました。
      天海もその1人でした。
      それほどまでに天海はたよりにされていました。
    • 天海は、家康の神名を東照大権現(とうしょうだいごんげん)とつけました。
      伊勢神宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)を意識し、東国の天照(あまてらす)という意味で東照大権現にしたのでしょう。
      東照大権現とは、家康が東照という神となって仮に(= 権)あらわれている姿ということです。
    喜多院内の仙波東照宮
    宮(ぐう)とは、人間を神としてまつる神社のことです。天満宮(菅原道真)など。
    • 家康をまつる東照宮は全国に100以上あります。
      このうち、久能山東照宮日光東照宮、および仙波東照宮を3大東照宮とよびます。
      仙波東照宮は、1617年、家康の亡きがらを久能山から日光へ運ぶ途中、わざわざ喜多院へ寄り法要が営まれたことにより建立されました。
      喜多院の敷地内にあります。もと中院があったところです。
    • このようにして、天海は
      家康を、
      幕府を、
      江戸を
      京に並ぶ都にしました。
    • 2代将軍徳川秀忠(ひでただ)ばかりでなく、3代家光(いえみつ)もまた天海を尊敬していました。
    • 1638年に、大火によって喜多院のほとんどが消失しました。
      家光は、江戸城から客殿や書院を移築しました。
      「家光誕生の間」「春日局(かすがのつぼね)化粧の間」がそれです。
      これらは、江戸城の唯一の遺構です。
      春日局は家光の乳母で、家光を将軍に押し立てた立役者です。
    • 天海は、敵をよけるために鬼門に寛永寺を建てました。
      しかし、200数十年後に敵でない徳川御三家から将軍があらわれました。
      15大将軍、徳川慶喜(よしのぶ)です。
    • 天海は、「鬼門から、将軍がでれば、徳川は終わる」と予言していたといわれます。

    2009/01/09

    狭山茶発祥の地、中院 <武蔵


    狭山茶の発祥の地、中院
    • 狭山茶は、最澄の弟子円仁(えんにん)が京からの茶の実を薬用として中院で栽培したのが始まりとされています。
      やがて茶の栽培は、川越一帯にひろがり川越茶となり、さらに拡大し、狭山茶となりました。
    • 狭山茶は5大銘茶の1つで、
      色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす
      とうたわれています。

    天台宗星野山(せいやさん)中院の大門
    • 川越の寺院で一番大きい大門です。
    • 「日蓮聖人伝法灌頂(でんぽうかんじょう)の寺」:日蓮聖人が修行を終え、指導者の位を授かった寺


    整然とした落ち着いた庭
    • 建物に気品があり、境内は整然閑寂としており、手入れよく整備されています。
      春には 本堂前にしだれ桜が優雅に咲き誇ります。
    • 1296年ときがわ町慈光寺の尊海僧正により復興され、関東の天台宗の別格本山となりました。
      関東の580近くの寺を統べるようになりました。
    • 尊海僧正はのちに北院、南院も建立します。
    • また尊海僧正はここ中院で日蓮上人を教えました。

    島崎藤村寄贈の不染亭
    • 中院は島崎藤村ゆかりの寺院でもあります。
      妻の母は、「不染」という茶道の師匠でした。
    中院の公式ページ
    ----------

    製茶機械のを発明した高林謙三の墓も近くに

    2009/01/08

    中院はなぜ引っ越し? <図解 武蔵


    川越の無量寿寺(むりょうじゅじ)の変遷
    • 川越には、星野山無量寿寺(せいやさん むりょうじゅじ)北院、星野山無量寿寺中院、星野山無量寿寺南院の3院がありました。
    • 中院の地に家康をまつる東照宮が割り込んできたので、中院は現在の地に移りました。
    • 北院は喜多院に改称しました。
    • 南院は、全焼し、わずかに川越総合高校の一角にお地蔵さんが残っているのみです。
    • ----------
    • 喜多院のアクセスマップには、中院は入っていません。

      • 「喜多院に天海僧正がら移住する以前は、むしろ中院の方が勢力をもっていた…」。中院の立て札

    「南院(みなみいん)跡地」。うしろは川越総合高校
    • 【付記】山号、寺号、院号について
    • お寺には、山号、寺号、院号があります。
    • 山号は、お寺が山中に建てられた名残です。
      正面の門を今でも「山門」というのもこのためです。
    • 中院は、星野山無量寿寺中院では名称が長いため、一部「中院」を取って通称名にしました。
    • したがって寺の名前は、「寺」でも「院」でも中身にちがいはありません。

    2009/01/06

    1月3日喜多院「だるま市」

    30万人の参拝客でにぎわう「だるま市」

    護摩受付所:
    護摩は、サンスクリット語のhoma(ホーマ、焼く)の音訳です。供物を焼くと天上の神が願いをかなえてくれるとの信仰に基づきます。

    1月3日川越の喜多院では、だるま市が開かれます。
    喜多院は、江戸時代には天台宗の関東総本山でした。

    • 1月3日は、慈恵大師(じえだいし)の命日です。
      元旦の3日になくなったので、元三大師(がんざんだいし)ともよばれます。
      慈恵大師(912年生まれ)は、天台宗の最高の位である座主(ざす)にもなった比叡山延暦寺の中興の祖です。
      (慈恵大師とだるまは直接の関係はありません。)
    • だるまは、
      「七転び八起き= 七転八起」、
      「起き上がり小法師(こぼし)」
      といった特性から縁起物になりました。
      また、赤には魔よけの効果があると信じられていました。
    • 目の部分は空白にして、おねがいが叶うと目をえがき入れるのが習慣です。
      しかし、障害者差別につながるということで、公的機関ではおこなわれなくなりました。
    • だるまは、380年ごろ生まれたインド人の達磨(だるま)大師の坐禅姿を模した置物です。
      達磨大師は、中国で活動し、座禅で有名な禅宗を興しました。
      9年間壁に向かって座禅を組見ました。「面壁九年(めんぺきくねん)」といいます。

    • 角大師(つのだいし)は、つのをもち、骨と皮とにやせさらばえた慈恵大師(じえだいし)の姿です。
      大師は鬼に化けて、疫病神を追い払いました。
      壁に貼って魔よけの護符(ごふ)にします。
    • ----------
    • 喜多院のホームページ

    2009/01/04

    ナンバープレートいろいろ

    「川越のお不動さん」で知られる成田山川越別院は、千葉県成田山の第1号支店です。
    成田山は特に交通安全にご利益があります。

    大みそかには除夜の鐘をつき、車のおはらいを受けて新年を迎える善男善女で長蛇の列となります。
    境内にも珍しやかなナンバーの車が多くありました。
    31日夜半から1日にかけて、お不動さんや喜多院周辺でナンバーを収集しました。

    成田山別院でのお祈りの行列。2008年12月深夜

    なに、なに、なに!?

    「来い、来い…

    福、来い」

    こちらも、888。

    いいな…。

    サンキュー。

    双子ナンバー

    55-66、77-88。こちらは宮城県栗原市金成(かんなり)にて。2006年6月

    2009/01/03

    川越の有名寺社、七福神めぐり

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