2015/12/31

徳川恒孝さん「家康は天下統一後は、街道や河川などのインフラ整備に取り組んだ」 


徳川宗家の恒孝さん講演 浜松の記念事業フィナーレ
(静岡新聞 2015/12/25 )引用編集
徳川家の歴史や功績について公演する徳川恒孝さん
徳川家康公顕彰400年記念事業の浜松部会グランドフィナーレが24日夜、浜松市中区の市福祉交流センターで開かれた。
徳川宗家第18代当主の徳川恒孝さん(75)が徳川家の歴史や功績について講演し、市民ら約600人が耳を傾けた。

 徳川さんは家康の足跡を説明しながら、天下統一を果たした後に最初に着手した事業としてインフラ整備を挙げた。その上で「街道や河川の整備、貨幣や法律の統一など、世の中が平和になって初めて取り組めたことが多かった」と強調した。

 鈴木康友市長と静岡文化芸術大の磯田道史教授は同部会の2年間の取り組みを振り返り、30歳前後の家康を再現した等身大の3D肖像や三方原合戦のジオラマ、立体しかみ像の制作などの裏話も紹介した。
26日には、記念事業のエンディングセレモニーが愛知県岡崎市で行われる。

2015/12/26

アセアンのページ

世界を先導
AEC

2015/12/20

高齢者移住後押し 越生町など60拠点。地域経済活性化支援機構

高齢者移住 60拠点整備 政府系ファンド、地方で活躍後押し
2015/12/18 14:00[有料会員限定]

 政府は元気な高齢者の地方移住を後押しする。政府系ファンドの地域経済活性化支援機構が街づくりを手掛ける民間企業に出資し、医療や介護、生涯学習などの設備をもつ共同体を地方に約60カ所つくる。高齢者の移住を地方創生の柱の一つに据える政府の方針を踏まえた取り組みで、限界集落などの再生にもつなげる。

都市部から移り住んだ約80人が暮らす
 政府は今夏まとめた地方創生の基本方針で、高齢者向けの共同体をつくる日本版「CCRC」構想の推進を掲げた。

 地域支援機構は地域や健康向けに総額100億円を確保しており、この分野に50億円程度を出資する方針だ。まず、CCRC事業を約20年前から手がけるコミュニティネット(東京・千代田)に5億円を出資し、役員も派遣する。

 コミュニティ社を運営主体に、今後5年間でフランチャイズ形式も含め約60自治体で高齢者向け施設を核とする街づくりを進める。同社は地域支援機構からの出資で過疎地の空き家や廃校、老朽化した団地を改装し、高齢者向け施設などをつくる。地元企業や個人からも資金を集めて地域ファンドを立ち上げ、高齢者住宅、介護施設、交流スペースを組み合わせた生活共同体を整備する。

 第1弾として来年初めに岩手県雫石町、北海道厚沢部町、埼玉県越生町に施設をつくる。雫石町では14ヘクタールの町有地に高齢者住宅や在宅介護施設を用意する。自給自足型の街づくりを目指し菜園を備えた住宅なども検討する。高齢者が適度に働けるようにして寝たきりや認知症を予防する。

 入居希望者が参加する形で開発を進め、生涯教育の場なども含め必要な施設を話し合う。

 コミュニティ社は全国8カ所で、街づくりの実績がある。栃木県那須町には都市部から約80人が移り住み、居住者が交流できる音楽室や図書室も備えている。

 政府の高齢社会白書によると、65歳以上の高齢者は昨秋時点で過去最多の3300万人。人口の3割近くを占め、今後も増え続ける見通しだ。

「越生町」が小惑星の名前に

「越生町」が小惑星の名前に 幼少期過ごした元JAXA室長が仲介
20150917Sankei

 ■2015年10月命名記念式典

 越生町は、太陽の周りを周回する小惑星が「越生町(おごせまち)」と命名されたと発表した。
フランス・パリにある国際天文学連合(IAU)・小惑星センターの認証を受けたもので、10月17日に同町中央公民館で命名記念式典が行われる。

 同町によると、この小惑星は1997年に北海道在住の天文家、渡辺和郎さんと円館金さんが共同発見した。
火星軌道と木星軌道の間で、太陽の周りをややつぶれた楕円(だえん)軌道で約4・8年をかけて1周している。
直径は約8キロと推定され、これまで発見された小惑星の中でも大きい部類に入るという。

 元宇宙航空研究開発機構(JAXA)宇宙飛行士室長の寺門邦次さん(72)が越生町で幼少期を過ごした縁で、知人で800個以上の小惑星を発見し、小惑星ハンターといわれる渡辺さんに同町にちなんだ名前を付けるように依頼。
渡辺さんがIAUに申請したところ、今年6月2日、認証を受け、正式に名前が決まった。

 IAUが発行した認定証には「Ogosemachi」の名前、小惑星の番号「14998」と位置を示す計算式などが記載され、越生町が埼玉県内にある町で黒山三滝や関東三大梅林の一つ、越生梅林で知られることも書かれている。

 寺門さんは「毛利衛さんや山崎直子さんら宇宙飛行士は星やプラネタリウムから宇宙に関心を持った人が多い。
小惑星に町の名前が付くことで、子供たちが天文に関心を持つ起爆剤になれば」と話す。

 命名記念式典は午前10時に開会し、渡辺さんが命名認定証を新井雄啓町長に贈呈した後、渡辺さんと寺門さんが小惑星「越生町」や宇宙の魅力などをテーマに講演する。入場無料。

 同町は「町の名前が星の名前として後世に残る。
日本、世界に越生町の名前が知れ渡り、子供たちにも夢を持ってもらえる」と話し、今後、イベントや子供たちの教育の場でPRしていくことにしている。

2015/12/19

「運盛(うんも)り」 に願いを込めて。古河(こが)市


運盛(うんも)り。古河(こが)市・鷹見泉石記念館。
冬至の頃に「ん」のつくものを食べると「運」を呼び込めるといわれます。

ダイコ、ニンジ、カリ、レンコ、トウガ、…で、
2016年、平成28年、さる年の
「運盛(うんも)り」
!!    2016年、平成28年もご多幸をお祈りしています。


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1455年足利成氏(しげうじ)が、室町幕府と対抗して、鎌倉から移り、古河に居を構えました。
古河公方(こがくぼう)の始まりです。
古河は、以来5代130年間、北関東の政治・文化の中心として栄えました。
公方(くぼう)は、鎌倉幕府が関東においた鎌倉府の長官です。

写真は、古河(こが)市・鷹見泉石(たかみ せんこく)記念館にて。2015/12/18
鷹見泉石は、古河藩の家老です。

* この屋敷に1864年には尊皇攘夷派・天狗党の乱に加わった水戸藩士100名以上がかくまわれました。

古河藩は、古河県→千葉県→茨城県に編入されています。

古河市は、北は栃木県、西は埼玉県に接する古河
古河市は、関東平野の中心に近いところにありましたが、
県都・水戸などをはじめ大勢が太平洋岸部志向となり、
不振を囲っています。

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第7回日経小説大賞は、西山ガラシャ「公方様のお通り抜け」に決定です。
(2015/12/20)
公方(くぼう)様とは、この小説では、将軍を指しています。

古河公方の場合には、鎌倉府長官として関東を支配した足利氏のことです。




2015/12/16

古河(こが)。古河公方(こがくぼう)。茨城県


古河市役所
古河  wp
  • すでに奈良時代から渡良瀬川の渡し場として賑わっていた
  • 室町時代後期から戦国時代にかけて古河公方の本拠地
  • 近代以降の茨城県は旧常陸国、水戸街道が中心となって形成されたため、県史としては傍流的な位置づけになる。
  • 1958年昭和33年)に東北本線が電化され、上野まで約一時間で結ばれるようになってからは、東京のベッドタウンの役割
  • 室町時代~戦国時代:古河城は鎌倉公方の軍事拠点、のちには古河公方の本拠地となり、元の古河地域は関東の中心の一つとして発展する。市域南部の水海(水海城)は古河公方重臣・簗田氏の拠点となった。
  • 歴代古河藩主においては、大老2人(土井利勝堀田正俊のほか、老中京都所司代などにつくものも多い、有力譜代藩であった。
  • 1832年:古河藩第十一代藩主である土井利位が、日本初の結晶に関する観察図鑑『雪華図説』を出版した。
  • 新幹線がその都道府県を通過するにも関わらず、その都道府県に1つも駅が存在しないというのは、この茨城県の例が唯一である。
  • 古河公方館跡(茨城県指定史跡)
  • 古河総合公園内。御所沼などが復元されている。足利義氏の墓所があるが、何者かに破壊される事件があった [7]
  • 足利成氏(しげうじ、古河公方室町時代後期~戦国時代前期の武将)
  • 永井路子(作家)

2015/12/12

真田丸って、なに? (NHK大河ドラマ)

真田丸 (NHK大河ドラマ) 。wp


真田丸
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真田丸(さなだまる)って、なに?

大坂の陣で真田信繁(のぶしげ、幸村)が築いたとされる出城(でじろ)「真田丸」に由来します。
出城(でじろ)は、本城から離れてもうけた城のことです。
徳川軍の兵は15000もの死者を出しました。


真田信繁(さなだ のぶしげ / 通称:幸村〈ゆきむら〉)がNHK大河ドラマの主人公。

真田信幸(のぶゆき)は、兄。

父は、真田昌幸(さなだ まさゆき)。



2015/12/10

見せます!地方のプライド。 NHK

全国のNHK記者たちが地方の「今」に迫る活性化の糸口は?

木質チップで町づくり  (山形県最上町) 【4+】
バイオマス発電所の誘致も

魚を「ブランド化」  (山口県萩市) 【4+】
萩市は世界遺産に登録された松下村塾など歴史のまちとして有名ですが、鮮度抜群の日本海のおいしい魚も満喫できます。
秋吉台などの景勝地も近くぜひ一度足を運んでみてください。

事業拡大で収益を  (鹿児島県)   【6+】
熊本市は熊本城と豊かな地下水が自慢。
九州新幹線の開通でアクセスがますます便利になりました!
多良木町は「日本三急流」の一つ、球磨川が流れる自然あふれる町です。
名産の焼酎も味わってみては?

「調理専門」の高校 (北海道・三笠市) 

町が「無料塾」?!「教育」重視で流出防げ  (徳島・上勝町)
上勝町(かみかつちょう)は「葉っぱの町」です。
山の葉っぱを和食の「つまもの」に変えるビジネスでお年寄りが活躍中。
最近では独特の風味を持つ発酵茶の産地としても話題です!

「身の丈」にあった取り組みを (群馬・南牧村)
南牧村は群馬県南西部の山あいにあります。
人口およそ2100人で高齢化率は60%と全国トップクラス。
でも、元気なお年寄りが多く、道の駅では地元でとれた自慢の野菜やこんにゃく、特産品の「しそ巻き」が好評です。

「多業」で稼ぐ!  【3+】 
岡山県 西粟倉(にしあわくら)村は林業が盛ん。
取材した木材加工会社では、住宅リノベーションブームもあって、家庭向けの床材がヒット(昨年度は売り上げ2億円!)。
お土産用の木のスプーンやフォークも人気です。

県境またいだ自治体連携 「マルチ」で仕事を生み出せ 【3+】
中海・宍道湖・大山エリアは、四季を通じて美しい自然と、カニやシジミなどの豊かな水産資源が自慢です! (山陰5市)

兼業で多様な人材を (鳥取市) 【3+】
鳥取県の東端に位置する岩美町の自慢は、透明度は沖縄にもハワイにも負けない浦富海岸。
夏は海水浴やカヌーなどが楽しめ、岩ガキ、白イカなど海の幸も絶品です。
鳥取市の海も負けず劣らずきれいですよ!

規制緩和で高齢者の活躍を (兵庫・養父市) 【3+】
養父市は古くから農業が盛んな地域で、それを支えたのが但馬牛です。
高級ブランド肉「神戸ビーフ」のもとになっていて、穏やかな性格だけど力持ち。この地域の人たちの気質にそっくりなんです。

テレワークで看護師不足を補う (香川県) 【3+】
生で食べられるアスパラに世界最大級のキウイ。
農作物の高級品種も次々と開発され、生産量で劣る最小県だからこそおいしさと品質で勝負。
「うどん県」だけじゃない!

地方発「働き方革命」 (宮崎・宮崎市) 【3+】
宮崎市は「スポーツ合宿」誘致を積極的に進めていて、ラグビー日本代表も大会直前まで合宿を行いました。
スポーツで地域活性化に取り組んでいます!

「外からの視点」を生かせ (鹿児島・長島町) 【3+】
鹿児島の最北端にある離島の町の自慢は養殖ブリの生産量・売上高日本一です!その町に自称「エイリアン」が来ました!

切り札は「国際化」 (北海道・ニセコ町) 【3+】

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越生(おごせ)町。埼玉県

* 埼玉県庁


越生町

越生町 公式サイト  やまぶき・うめ・うぐいす
    越生町 wp
    航空写真 
    越生の観光スポット 埼玉県

    越生梅林。 さくらの山公園。山吹の里歴史公園。つつじまつり。あじさい街道。うめ。役行者・黒山。龍穏寺。大クス


黒山三滝他 【7+】



福島県・喜多方市で 5ミクロンの微生物に挑戦

3-1】(福島民報社、文・馬場憲明、写真・丹治次男)引用編集
飯豊山登山を前に、土の採取法を打ち合わせる隊長の志田公司さん(中央)ら
=福島県喜多方市
「あの山にある宝物で地域を元気にしたい」。
ラーメンのまちとして知られる福島県喜多方(きたがた)市の会津喜多方商工会議所総務係長、高久大志(たかく・だいし)さん(35)は、真夏でも白い雪の残る飯豊山(いいでさん)(2105メートル)を指さした。

 ▽託す大きな夢
 高久さんのいう「宝物」は肉眼では見えない。
大きさは5ミクロンほど。
顕微鏡でしか確認できない酵母、乳酸菌などの微生物だ。
極小の生き物に、地域おこしの大きな夢を託す。
みそ、しょうゆ、日本酒など醸造品の新開発プロジェクトが進んでいる。

 喜多方市は古くから醸造業が盛んだった。
市内には醸造蔵、店蔵、座敷蔵など4千を超える蔵がある。
かつては「蔵を建てて初めて一人前の男」と言われたほど。
だが、日本人の食生活の変化や景気低迷などで醸造品の売り上げも伸び悩み、商店街には空き店舗が目立つ。
今年3月発表された公示地価では商業地、住宅地ともに、県内で下落率が最大だった。

 「微生物でまちおこし」という大胆な発想の生みの親は、人事交流で市商工課にいた経済産業省競争環境整備室総務係長、荒川洋(あらかわ・ひろし)さん(35)。
「昨年の夏、地酒を酌み交わし、議論していた時に思いついた」と振り返る。

 話を聞いた市マーケティング課主査、石田智久(いしだ・ともひさ)さん(40)と、高久さんは商工会議所が主体となり取り組むことを計画。
国の「地方の元気再生事業」に採択された。

 ▽青や緑の酒も
 「微生物ハンターを結成し、役立つ酵母や乳酸菌を探そう」。
取り組みは決まったが、3人ともこの分野は素人。
県ハイテクプラザ副所長、桑田彰(くわだ・あきら)さん(57)や、福島大理工学群准教授、杉森大助(すぎもり・だいすけ)さん(42)に支援を要請。
醸造業者も巻き込み、昨秋から勉強会を重ねた。
県内の小野町出身の元東京農大教授で発酵学者、小泉武夫(こいずみ・たけお)さん(66)を招き、シンポジウムも開いた。

 微生物ハンターには微生物研究企業の社員、大学生、醸造業者ら6人が応募。
喜多方市の歯科医、志田公司(しだ・こうじ)さん(63)を隊長に9月中旬、飯豊山に登った。
山頂や万年雪の下など20カ所を目標に1グラムずつ土を採取する。
微生物は、会津坂下町の会津農林高の教諭、生徒が分析、選別、培養などに当たる。

 「新種が見つかればいいが、確率は極めて低い。
ただ、飯豊山の微生物を使った新商品の付加価値は高いはず。
微生物研究所の設立も計画している。
暗闇に光るみそ、青や緑の日本酒などを開発できれば」。
高久さんたちの挑戦が本格的に始まる。

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【地方の元気再生事業】
2008年度から国が始めた。
魅力あるまちづくり、地場産業振興など地域の実情に応じた自主的なプロジェクトを支援する。
初年度は全国から1186件の応募があり、120件が採択された。

2015/12/09

島根県大田市の石見銀山で 空き家を社員寮に

石見銀山が記された古地図を囲む「中村ブレイス」の社員の家族。中央は中村俊郎さん=島根県大田市
【2-3】(山陰中央新報社、文・引野道生、写真・小滝達也)引用編集

 アジアの鉱山遺跡で初の世界遺産に登録された島根県大田市の石見(いわみ)銀山遺跡。
山あいにある同市大森町の江戸時代からの町並み保存地区に、ゆったりした時が流れる。
 「すごい」「面白い」。修復した武家屋敷で、上村亜子(かみむら・あこ)さん(34)と長女の菜(さい)さん(9)ら、同町に本社を構える義肢装具メーカー「中村ブレイス」の社員の家族が歓声を上げた。

 社長の中村俊郎(なかむら・としろう)さん(61)は16世紀、欧州製のアジアの古地図に石見銀山が記されていることを説明。
「世界史の中で銀山が果たした役割と魅力を子どもたちに語り継ぎたい」とほほ笑んだ。
 
 ▽空き家を社員寮
 大森町の人口は408人。
65歳以上の住民が38%を占める。
中村さんは1996年から島根県などの世界遺産登録運動を民間の立場で強力に支援し、社員65人とともに文化財を保全活用するまちづくりの原動力を担う。

 本社に隣接する石見銀山資料館の理事長を務め、老朽化した資料館を大改修。
過疎化で空き家となり、廃屋の危機にあった古民家を次々と購入。
社員寮や喫茶店として30軒を再生し、伝統ある町並みの保存を果たした。
 さらに、石見銀で作られた古丁銀をはじめ、石見や佐渡などを描いた鉱山絵巻など貴重な資料100点を収集所蔵。
県外に流出した古文書を里帰りさせ銀山の歴史的な価値をアピールしてきた。

 「明治生まれの亡父からもらった夢を大切にしたかった」。
中村さんは振り返る。
古里への愛着は、同資料館館長を務め「世界の銀山」だと価値を確信していた父・章一(しょういち)さんの思いと重なる。

 ▽小学校維持に力
 中村さんは米国で義肢装具士の修業をして帰郷、35年前に一人で起業。
世界8カ国で特許を得たシリコーンゴム製の靴の中敷きを始め、乳がん患者の人工乳房などを製作。
確かな技術と仕事ぶりが評価され、顧客は国内外に拡大。
2008年度の年商が8億5千万円となる企業を築いた。

 地域に根を張り、病や事故に遭った人々を支える心のこもった「ものづくり」にこだわった仕事への姿勢は、まちづくりでも変わらない。
全戸が加盟し半世紀の間、歴史遺産を保護してきた大森町文化財保存会会長・吉岡寛(よしおか・ひろし)さん(80)は同社を「修理が必要な建物が非常に多く、自治会では手が出せない」と感謝する。

 同社は社員と家族に同町への定住を促し、統廃合の危機にさらされる大森小学校(全校児童12人)の存続にも取り組む。古里への愛情と誇りを胸に、人類共通の宝に磨きをかける挑戦が地域に活力を注入している。



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【石見(いわみ)銀山遺跡】

  戦国時代から銀を産出した日本を代表する鉱山遺跡。
戦国武将が領有を争い、石見銀は東アジアを舞台とする国際貿易に使われた。
東洋と西洋の経済文化交流を生み出し2007年7月、日本で14番目の世界遺産に登録された。

2015/12/08

INSEAD(インシアード)。1年生MBA大学院。ランキングトップ

www.insead.edu  パリ・フォンテーヌブロー。シンガポール。アブダビ。

教職員 250人+
大学院生 1000人+ (主にMBAプログラム)
博士課程 80人+
所在地 フォンテーヌブロー、シンガポール、アブダビ

INSEADのMBAプログラムは、Financial TimesのGlobal MBA ranking 2015では世界第4位、

FT500(時価総額ランキングトップ500社)の企業にCEOを輩出した人数をもとにしたMBAランキング(Financial Times紙,2015年)では、INSEADはハーバード大学に次いで世界第2位。

特色
  • 1年制MBAプログラムであること、
  • 80か国以上から学生が集まっており言語・国籍の多様性があること、
  • キャンパスがフランス・シンガポール・アブダビに分かれていること、
  • コーチングに関するユニークなマスターコース(EMCCC)があること等が挙げられる。
ハーバード・ビジネス・スクール、ケロッグ経営大学院、スタンフォード経営大学院と提携を結んでおり、これら4校の在学生・卒業生はお互いの求人データベースにアクセスができる[5]。

概要
INSEADのMBAプログラムは1年が5学期に分かれており、各学期2か月ずつ、正味10か月のプログラムである。
授業は全て英語で行われる。
入学時期が1月と8月にあり、修了時期はそれぞれ12月と7月である。
1、2、3学期の一部で必修科目として、経営学の一般科目である会計学、金融・財務、経営戦略論、マーケティング論、統計学、経済学、オペレーション、組織論、IT、国際関係論の基礎科目が提供され、3、4、5学期に選択科目としてそれら各分野の発展・応用講座が開かれる。
また、入学時点で英語ともう1か国語(英語以外の母語でも可)の二言語に精通していること、さらに卒業時点までに、もう1か国語が基礎レベルに達することが要求される[7]。

Asia Campus

主な日本人卒業

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著名な教授[編集]


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Insead beats Harvard Business School into second place as US continues to dominate the top 10  2016 Ranking


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【Nikkei 2016/01/25】

FTのMBA校ランキング、首位はINSEAD 



 英フィナンシャル・タイムズ(FT)がまとめた2016年グローバル経営学修士号(MBA)スクールランキング(100校)で、フランスとシンガポールに拠点を構えるINSEAD(インシアード)が初めて首位に立った。アジア勢の最高は14位の香港科技大商学院だった。

 世界のMBAスクール157校についてFTが学生の国籍などの多様性のほか、修了後の平均年収など20項目を調べて総合評価した。

 INSEADは過去3年連続で1位だった米国のハーバード・ビジネス・スクールや英国のロンドン・ビジネス・スクールなどを抑えた。一般にMBAコース期間は2年間だが、INSEADは半分の1年間で修了後の給与は高い水準だった。

 アジア勢では香港を含め中国の7校がランキング入りした。インドの3校はそろって順位を上げた。インドの最上位、インド経営大学院アーメダバード校(24位)は、MBAの取得前と後の昇格の大きさが最高だった。

 日本勢は今回の調査に参加しなかった。過去の調査では学生の国籍の多様性や女性比率といった分野で評価が低かったという。


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「金融より起業」潮流に変化   英語圏のアジア勢伸びる

2016/1/25付日本経済新聞 


 金融街での高給よりも起業を――英フィナンシャル・タイムズ(FT)がまとめた2016年グローバル経営学修士号(MBA)スクールランキングは、世界のビジネス界でキャリアアップを目指す人々の志向の変化を映している。より実践的で費用対効果の高い教育の提供が大切になってきた。世界に水をあけられている日本のMBAスクールにも、学生の国際化対応など自己変革が求められそうだ。(1面参照)


 エリート校での経営学修士号(MBA)は従来、大企業の役員、ウォールストリートやロンドンのシティーといった金融街で高給取りになる近道だった。それが変わろうとしている。

 この10年間で金融業界の人気は落ち、2000年代に20歳を迎えた「ミレニアル世代」の若者たちのキャリア願望も変わった。多くのMBA取得者はかつてのように投資銀行に向かうのではなく、技術系の会社や起業を目指している。

 就職先が細分化し、高額ボーナスの金融界が魅力を失うなか、ビジネススクールは高い学費をこのまま維持できるのか。

 多くの学生はMBA修了時に10万ドル(約1180万円)の借金を抱えている。米コロンビア・ビジネス・スクールのグレン・ハバード学長は「新しいサービスを提供しなければ従来のように学費を上げることは出来なくなるだろう」と語る。

 トップ集団とその他の学校のレベル格差も大きくなっている。米シカゴ大ブース・ビジネススクールのステイシー・コール副学長は、トップ集団に含まれるのは「20校強」と指摘する。

 そのトップ校も授業料に見合うだけの魅力のアピールに、他校との違いを打ち出そうとしている。首位のINSEADは1959年フランスのフォンテーヌブローで開学、2000年にシンガポール・キャンパスをオープンした。その売りは「真のグローバル経験」で、在学生は毎年フランス、シンガポールなど複数のキャンパスで学び、国際感覚を身につける。

 スイスのIMDは、就職先として人気のある大手企業と組み、求人内容に沿ったカリキュラムで人材を育成する。仏HECもこのほど、企業からの意見を踏まえてカリキュラムを刷新した。バーナード・ガレット副学長は「教授陣が不可欠と信じていた教育内容が、実は企業の要請に合わないことに気づいた」と語る。

 アジア勢では13校がランク入りした。そのうち7校が前年より順位を上げ、中国人民大商学院が初登場。インド経営大学院アーメダバード校は26位から24位に、シンガポールのナンヤン・ビジネス・スクールが40位から29位に、インド経営大学院バンガロール校は82位から62位に上がるなど、英語圏の学校の伸びが目立った。

 ただ、OBらに「母校以外から採用するなら、どの学校から雇うか」と聞き、評判をランキングしたところ、香港科技大商学院が37位(調査全体では14位)、中欧国際工商学院が35位(同17位)と伸び悩んだ。グローバルなブランド力をどう高めるかがアジア勢の課題だ。

 学生の負担軽減に、各校は奨学金制度も拡充している。先行するハーバード、スタンフォードは50%の学生が学資援助を受けている。

 INSEADは1年コースでMBAを提供する学校としても初めて1位となった。同校の12年卒組が、修了後3年間に得た平均年間収入は約16万7千ドルで、MBA取得前と比べほぼ倍増。通常2年コースでトップ5を構成するハーバード、ロンドン、ウォートン、スタンフォードのMBA取得者もおおよそ同レベルの給与を得ていた。

 しかし、バリュー・フォー・マネー(金額に見合う価値)で測れば、INSEADがトップ10に入ったのに対し、その他4校は最も投資効率が悪い(学費が高い)分類に入った。「費用対効果」の高いMBAの評価が高まった。


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計1千万円超も学費どう工面? ローン優遇・ネット、活用

2016/1/25付日本経済新聞

 経営学修士号(MBA)スクールのトップ校の学費は10万ドル(約1180万円)にも上る。スタンフォード大経営大学院のMBAコースは12万8100ドル。どのように工面するのか。

 奨学金は幅広くあり、学力などに応じて受けられる。FTの2016年ランキングの対象となった12年修了組でみれば、45%が奨学金や学資援助を受けていた。銀行の学資ローンも一つの手だ。

 インターネットを経由して不特定多数から資金を募る「クラウドファンディング」もある。プロディジー・ファイナンス社が仲介するシステムでは、在学中および修了から半年間は返済の必要がなく、その後、7年間かけて返していく仕組みだ。

INSEAD wp

祇園では、クギ1本打つのも事前協議が

2-02】(京都新聞社、文・沢田亮英)引用編集
祇園祭の神幸祭でにぎわう花見小路=京都市東山区
石畳の道が雨にぬれた7月17日夜。
お茶屋が並ぶ東山区の花見小路は祇園祭の神幸祭(しんこうさい)でにぎわい、みこしを担ぐ「ホイット、ホイット」の掛け声が響いた。

 花見小路は、四条通を挟んだ北と南で街の景色がくっきりと異なる。
ビルが林立するネオン街の北側とは対照的に、南側は明治からのたたずまいを残す町家が連なり、花街の情緒豊かな町並みと暮らしが今も息づく。
 
 ▽改修にも基準
 
 「学園が土地を持っているのが、町並み保存で大きな要素になっている」と芸妓(げいぎ)や舞妓(まいこ)が芸事を学ぶ学校法人「八坂女紅場学園(やさかにょこうばがくえん)」の津田健次(つだ・けんじ)事務長(79)は話す。
景気に左右されて取引される私有地の集まりでなく、お茶屋のおかみたちで運営する学園が一元的に所有する「地域共有」が、まちづくりに大きな役割を果たしている。

 学園の所有地は、京都市が1999年に歴史的景観保全修景地区に指定した祇園町南側地域約6ヘクタールのうち、花見小路沿いを中心とした約2・8ヘクタール。
明治初期に京都府が地元に払い下げた経過があり、今は学園が約200区画をお茶屋や各店舗に貸している。
借地人とは町並み保存の合意書を学園と交わしており、建て替えや改修は学園に申請し「高さは2階建てが基本」など27項目を定めた「意匠基準」に合わせなければならない。

 学園が基準をつくったのは1994年。
バブル経済で相続税が負担できずにお茶屋を廃業するケースが増え、そこに開発の波が押し寄せる事態への危機感がきっかけだった。
その後、京都市の主導で景観整備が進められる動きが出たが、住民たちは96年、祇園町南側地区協議会を設立し「クギ1本打つのも事前協議がいる」というほど細かな景観基準をつくり、新規出店業種の規制、防火の取り組みも進めた。
市も条例改正や規制緩和で景観保全を後押しした。
 
 ▽空き家はゼロ
 
 同協議会の杉浦貴久造(すぎうら・きくぞう)会長(75)は「南側は見苦しくて、どないもならん建物はなくなった。
規制はひとしきり終わり」と振り返り、今は耐震強化のため、建物の内部にまで目を光らせる。

 北側では、世界的な金融危機の影響で空きビルも目立つ。
「まちづくりでは『地価が下がる』と反対する人が必ずいる。
地価が下がって何が困る。
売ってどこへ行くのか。
南側はこれだけの不況でも空き家がない」と、杉浦さんは胸を張る。

 土地の地域共有を土台に、高い住民自治の意識で町並みが守られている

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【京都市の景観規制】

2007年9月、京都市の市街地のほぼ全域で規制が強化された。
高さは都心部で最高31メートル(10階程度)、デザインは一般住宅でも瓦屋根など和風を基調とする。
五山送り火などの眺望を阻害しないための高さ規制も導入された。
祇園町南側は市街地で最も基準が厳しい。

長野県白馬村 外国人が経営

2-01】(信濃毎日新聞社、文・黒沢大生、写真・毛利英俊)引用編集
和田野区の区長として活躍するダン・マットさん(中央)=長野県白馬村
「おはようございます」「ご苦労さま」―。
目の前に北アルプス・白馬連峰が広がる長野県白馬村。
良く晴れた6月、道路沿いで花の植え替えに汗を流す住民たちのあいさつが飛び交う。
その輪の中に、軽トラックを運転しながら笑顔で声を掛ける外国人青年がいた。
 英国人のダン・マットさん(33)。
1998年、長野冬季五輪の競技会場にもなった白馬八方尾根(はっぽうおね)スキー場のゲレンデ近くにある同村の和田野(わだの)区で、4月から「区長」を務める。
地方で住民の自治組織の代表を外国人が務めるケースはまれだ。

 ▽自然守る手伝い
 マットさんは英国スコットランド出身で独身。
外国で仕事をしようと、会社勤めをやめて2000年に来日。
長野県松本市などで英会話講師を始めた。
「スノーボードが楽しめるし、森そのものの中で生活できる。
村の規模も古里に似ている」と和田野区が気に入り、06年に移住。
建物を取得してロッジを開業した。

 地区の行事や作業にも積極的に顔を出した。
「似た組織が古里にあった」といい、抵抗感はなかった。
「自然豊かな地区を守る手伝いをしたい」と、区でつくる景観育成住民協定を見直す委員会にも加わった。
そんな姿に周囲から「和田野の将来を真剣に考えてくれる人」と推され、ことし4月、区長に選ばれた。

 百軒ほどある和田野区の住民の多くは、ホテルやペンション、貸別荘を営む。
五輪開催効果もあり、白馬村内はスキー、スノーボードを中心に外国人客が増加。
08年に宿泊した外国人は4万9千人を超え、04年の約5倍に達した。
和田野区では、約60ある宿泊施設の2割ほどはマットさんら外国人の経営となっている。
 
 ▽開発ルールも協議
 
 外国人はスキーシーズンが終わると帰国したり、ほかの地域へ移ったりするケースが多い。
このため、地域づくりを日本人経営者らと話し合う機会は少ない。
だが、地域の発展には冬だけでなく通年で誘客する仕掛けが求められる。
区内では、外国資本による分譲ホテル開発構想も浮上した。
景気低迷で取りやめになったが、こうした大規模開発への対応も課題だ。

 「マットさんには、外国人と日本人住民の懸け橋になってほしいという期待もあるんです」。
区内でレストランを営む蓮井英史(はすい・ひでふみ)さん(58)は話す。
「どれだけ力になれるか分からないけれど、みんなで楽しく暮らし、開発ルールも一緒に考えていきたい」。
マットさんは意欲を示す。区長の任期は1年。
地元を離れている外国人区民らにメールを送り、秋祭りへの参加の呼び掛けを始めた。

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【地域の自治組織】
 自治会や町内会などと呼ばれ、地域で共同活動する組織は2008年4月現在、全国で29万4359。
清掃や防災・防犯活動などを担うほか、回覧板などで市町村から依頼された情報も伝える。
法的根拠がない組織のため、移住者が加入せず情報が行き渡らない課題も指摘される。

2015/12/06

信州戦国時代史跡マップ

信州戦国時代史跡マップ  NHK長野放送局

北信
    飯山  長野
東信
    上田  小諸
中信
    松本
南信
    諏訪  飯田


長野県4地域地図 (桑原政則作成)

北信と東信は旧長野県
中信と南信は旧筑摩県

2015/12/05

月録

by courtesy of Yomiuri

2015年11月
国際…パリ同時テロ(2015年12月04日)
経済…MRJ初飛行(2015年12月04日)
社会…H2A打ち上げ成功(2015年12月04日)
物故…原節子さん、北の湖敏満さん(2015年12月04日)

2015年10月
経済…TPP大筋合意(2015年11月04日)
物故…橘家円蔵さん、佐木隆三さん(2015年11月04日)

2015年9月
スポーツ…ソフトバンクがパ連覇(2015年10月04日)
経済…VW、排ガス規制で不正(2015年10月04日)
物故…小林陽太郎さん、塩川正十郎さん(2015年10月04日)

2015年8月
国際…バンコクで爆弾テロ(2015年09月04日)
物故…阿川弘之さん、柳原良平さん(2015年09月04日)

2015年7月
国際…米・キューバ、54年ぶり国交回復(2015年08月04日)
物故…南部陽一郎さん、堀場雅夫さん(2015年08月04日)

2015年6月
経済…株価、ITバブル超え(2015年07月06日)
物故…町村信孝さん、元大関貴ノ浪の音羽山親方(2015年07月06日)

2015年5月
物故…マイヤ・プリセツカヤさん、車谷長吉さん(2015年06月04日)

2015年4月
物故…愛川欽也さん、船戸与一さん(2015年05月07日)

2015年3月
社会…北陸新幹線開業(2015年04月06日)
物故…松谷みよ子さん、桂米朝さん(2015年04月06日)

2015年2月
物故…片山豊さん、坂東三津五郎さん(2015年03月04日)

2015年1月
スポーツ…箱根駅伝、青学大初V(2015年02月04日)
物故…宮尾登美子さん、陳舜臣さん(2015年02月04日)

2015/12/02

ジュンサイ日本一の町動く 秋田県三種町(みたねちょう)

【1-1】(秋田魁新報社、文と写真・斎藤将典)
 小舟に乗ってジュンサイを摘み取る女性たち。町内の初夏の風物詩だ。2012.

 鮮やかな緑色、つるっとした食感。
見た目が涼しげで、喉ごしも爽やかなジュンサイは、涼を感じさせる食材として、料亭や高級旅館などで重宝されている。
生産量で全国9割のシェアを誇るのが秋田県三種町(みたねちょう)だ。

 だが日本一の産地は近年、強い危機感を持つ。
昨年、同町の生産量は482トン。
ピークだった1991年の1250トンに比べ4割以下に落ち込んだ。
「このままでは町からジュンサイが消えてしまうかもしれない。
打つべき手は今打たなければならない」。
三浦正隆(みうら・まさたか)町長(59)は力を込める。
 現状を打破しようと昨年、町や町商工会、JAなど14機関が「じゅんさいの里活性化協議会」を設立。
5年後のジュンサイ販売額を、2009年度比で2・5倍の10億円に引き上げるプロジェクトを始動させた。

 町ぐるみの取り組みが生んだ成果の一つが、新たなご当地グルメ「三種じゅんさい丼」だ。
産地なのに気軽に味わえる料理がない矛盾を解消しようと、町内の飲食店7店が通年提供の新メニューとして共同開発した。

 刻んだ梅干しをまぜた酢飯の上に、しょうゆ漬けのジュンサイをたっぷりくるんだ薄焼き卵を載せる一品。
さっぱりとした味わいが特徴だ。
ご飯と一緒に食べるという、今までなかった食べ方が評判を呼んでいる。
 平均年齢70歳といわれる摘み手の後継者育成、安価な中国産に対抗する「三種ブランド」の確立など、打つべき対策は多い。
日本一の産地の挑戦が続く。

*
 摘み取り体験も格別
 小舟に乗り、沼の中の若芽を手作業で摘み取る。
5~8月の収穫期に見られる光景は昭和初期から変わらない。
地元での呼び名は「食べるエメラルド」。
町内四つの沼で摘み取り体験ができ、自分で採ったジュンサイの味はまた格別だ。

2015/12/01

再興、ジーンズストリート 聖地に活気 倉敷市児島

5-3】(山陽新聞社、文と写真・松原悠)引用編集
 地場メーカーの出店が続く児島ジーンズストリート。2012

 はき古されたジーンズが秋風に揺れる。
通りの上からつるされた歓迎の"アーチ"に、観光客が思わずカメラを向ける。

 岡山県倉敷市南部、児島地区の児島ジーンズストリート。
かつてはにぎわいの中心だったが、シャッターが目立つようになった味野(あじの)商店街を、地場ジーンズメーカーの販売店集積により再興する取り組みが進んでいる。
 江戸時代から繊維産業が息づく児島地区は1960年代、国内で初めて生産に乗り出した「国産ジーンズ発祥の地」。
今では関連業者がひしめく一大産地に成長した。
 ストリート構想は2009年末に実現へと動きだした。
メーカーや商店街関係者、空き店舗対策を模索していた児島商工会議所などが推進協議会を組織し、店舗誘致やジーンズの"聖地"としてPRに力を入れてきた。

 当初の3店(雑貨1店含む)から17店(雑貨、飲食各3店含む)へと順調に増え、ジーンズの写真をラッピングした自動販売機もお目見え。
取り組みを後押ししようと、市の幹部と議員がデニム姿で論戦に臨むジーンズ議会も恒例になった。

 ストリートの一角に店を構える「桃太郎ジーンズ児島味野本店」によると、08~10年度に5千~7千人台で推移していた来店者数が、11年度は1万9千人台へと大幅増。
12年度はさらに増える見込みという。
 同推進協議会の真鍋寿男(まなべ・ひさお)会長(58)は「店舗数、来客数のさらなる増加と両輪で、起業を夢見る若者らを呼び込み定住人口も増やしたい。
ストリートを核に、児島地区全体のにぎわいを目指す」と夢を描いている。

*
歴史が構想に厚み
 干拓で平野を広げた児島地区。
塩害に強い綿花の栽培から繊維産業が興り、真田ひも、足袋、学生服と変遷する中で蓄積した技術が、ジーンズへの転換を可能にした。
こうした歴史の裏打ちが、ストリート構想に厚みと“物語”を与えている。

デニム:厚地の布地