2016/12/24

山・鉾(ほこ)・屋台行事がユネスコ無形文化遺産

山・鉾・屋台行事(やま ほこ やたいぎょうじ)がユネスコ無形文化遺産に

八戸三社大祭の山車行事
〔読み〕はちのへさんしゃたいさいのだしぎょうじ
〔所在地〕青森県八戸市

角館祭りのやま行事
〔読み〕かくのだてまつりのやまぎょうじ
〔所在地〕秋田県仙北(せんぼく)市

土崎神明社祭の曳山行事
〔読み〕つちざきしんめいしゃさいのひきやまぎょうじ
〔所在地〕秋田市

花輪祭の屋台行事
〔読み〕はなわまつりのやたいぎょうじ
〔所在地〕秋田県鹿角(かづの)市

新庄まつりの山車行事
〔読み〕しんじょうまつりのやたいぎょうじ
〔所在地〕山形県新庄市

日立風流物
〔読み〕ひたちふりゅうもの
〔所在地〕茨城県日立市

烏山の山あげ行事
〔読み〕からすやまのやまあげぎょうじ
〔所在地〕栃木県那須(なす)烏山市

鹿沼今宮神社祭の屋台行事
〔読み〕かぬまいまみやじんじゃさいのやたいぎょうじ
〔所在地〕栃木県鹿沼市

秩父祭の屋台行事と神楽
〔読み〕ちちぶまつりのやたいぎょうじとかぐら
〔所在地〕埼玉県秩父市

川越氷川祭の山車行事
〔読み〕かわごえひかわまつりのだしぎょうじ
〔所在地〕埼玉県川越市

佐原の山車行事
〔読み〕さわらのだしぎょうじ
〔所在地〕千葉県香取(かとり)市

高岡御車山祭の御車山行事
〔読み〕たかおかみくるまやままつりのみくるまやまぎょうじ
〔所在地〕富山県高岡市

魚津のタテモン行事
〔読み〕うおづのたてもんぎょうじ
〔所在地〕富山県魚津市

城端神明宮祭の曳山行事
〔読み〕じょうはなしんめいぐうさいのひきやまぎょうじ
〔所在地〕富山県南砺(なんと)市

青柏祭の曳山行事
〔読み〕せいはくさいのひきやまぎょうじ
〔所在地〕石川県七尾(ななお)市

高山祭の屋台行事
〔読み〕たかやままつりのやたいぎょうじ
〔所在地〕岐阜県高山市

古川祭の起し太鼓・屋台行事
〔読み〕ふるかわまつりのおこしだいこやたいぎょうじ
〔所在地〕岐阜県飛騨(ひだ)市

大垣祭のやま行事
〔読み〕おおがきまつりのやまぎょうじ
〔所在地〕岐阜県大垣市

尾張津島天王祭の車楽舟行事
〔読み〕おわりつしまてんのうさいのだんじりぶねぎょうじ
〔所在地〕愛知県津島市、愛西(あいさい)市

知立の山車文楽とからくり
〔読み〕ちりゅうのだしぶんらくとからくり
〔所在地〕愛知県知立市

犬山祭の車山行事
〔読み〕いぬやままつりのやまぎょうじ
〔所在地〕愛知県犬山市

亀崎潮干祭の山車行事
〔読み〕かめざきしおひまつりのだしぎょうじ
〔所在地〕愛知県半田市

須成祭の車楽船行事と神葭流し
〔読み〕すなりまつりのだんじりぶねぎょうじとみよしながし
〔所在地〕愛知県蟹江(かにえ)町

鳥出神社の鯨船行事
〔読み〕とりでじんじゃのくじらぶねぎょうじ
〔所在地〕三重県四日市(よっかいち)市

上野天神祭のダンジリ行事
〔読み〕うえのてんじんまつりのだんじりぎょうじ
〔所在地〕三重県伊賀(いが)市

桑名石取祭の祭車行事
〔読み〕くわないしどりまつりのさいしゃぎょうじ
〔所在地〕三重県桑名市

長浜曳山祭の曳山行事
〔読み〕ながはまひきやままつりのひきやまぎょうじ
〔所在地〕滋賀県長浜市

京都祇園祭の山鉾行事
〔読み〕きょうとぎおんまつりのやまほこぎょうじ
〔所在地〕京都市

博多祇園山笠行事
〔読み〕はかたぎおんやまかさぎょうじ
〔所在地〕福岡市

戸畑祇園大山笠行事
〔読み〕とばたぎおんおおやまがさぎょうじ
〔所在地〕福岡県北九州市

唐津くんちの曳山行事
〔読み〕からつくんちのひきやまぎょうじ
〔所在地〕佐賀県唐津市

八代妙見祭の神幸行事
〔読み〕やつしろみょうけんさいのしんこうぎょうじ
〔所在地〕熊本県八代市

日田祇園の曳山行事
〔読み〕ひたぎおんのひきやまぎょうじ
〔所在地〕大分県日田市

2016/12/20

日本を嫌っていても日本旅行に行きたがる中国人

日本を嫌っていても日本旅行に行きたがる中国人
2016-12-18 Searchina

 日本政府観光局によれば、2016年1-10月に日本を訪れた中国人外客数は551万2700人に達した。15年の中国人訪日客数は過去最高を記録したが、16年はそれをさらに上回るペースとなっている。

 中国メディアの一点資訊は15日、日本を訪れる中国人が増えていることに対し、「日本を嫌いだと口にしながらも、実際には日本旅行が好きでたまらない中国人がいる」と伝えつつ、中国人から見た日本の魅力について考察している。

 記事は、日中国民を対象に行われた世論調査では「日本に対して親しみを感じない中国人の割合は非常に高い」にもかかわらず、日本を訪れる中国人は年々増加していると指摘。「日本を嫌っていたはずの中国人が日本に行きたがるなんて、いったい日本は中国人に対して何の薬を飲ませたのか」と形容したうえで、日本には中国人を惹き付けるどのような魅力があるのだろうかと疑問を投げかけた。

 続けて、中国人を惹き付ける日本の魅力について、まずは「空気がきれいで、透き通る空」を挙げ、大気汚染が深刻化する中国に対し、「日本の空気のきれいさはアジア随一だ」と主張。さらに、静かできれいな街も中国人にとっては日本の魅力の1つだと指摘した。

 さらに、日本には中国人がほしいと思う製品が数多くあり、街を歩いていて見かけるドラッグストアは中国人にとって非常に楽しい場所であると紹介。また、日本のサービスは「世界最高水準」であり、買い物をしていても微笑みながら対応してくれる店員のサービスは非常に気持ちの良いものだとした。

 また、購入した製品をどこかで失くしてしまっても、日本では「警察に落とし物として届いている可能性が高い」と指摘、スリや窃盗に対する心配もなく、安心して滞在できる治安の良さも魅力だと主張したうえで、こうした魅力こそ中国人が日本に惹き付けられる理由であり、「日本を嫌いだと口にしながらも、実際には日本旅行が好きでたまらない中国人がいる」理由だと論じた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

2016/12/18

川越では、空き家が激増。住宅の立地誘導が必要。nk2016-12-18谷隆徳 


週刊現代 2016-12-12  
ぶちぬき大特集  ”老いる家  傾くマンション  くずれるまち”


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空き家が激増。住宅の立地誘導が必要 
2016/12/18 時流  論説委員 谷隆徳  *タイトルを一部修正

 全国で空き家の増加が問題になっている。人口減少社会に突入し、住宅に対する需要が徐々に減ってきたことだけが理由ではない。供給面からみると、もうひとつ別の理由が浮かび上がってくる。

 蔵造りの町並みが「小江戸」と呼ばれ人気の埼玉県川越市市内の南東部に向かうと近隣に農地もある地区の一角に、まだ真新しい建売住宅群が見えてくる。ここは開発を抑制する市街化調整区域だが、市が条例で規制緩和し、建設が可能になった物件だ。

 市が規制緩和に踏み切ったのは2006年5月。道路への接続など一定の条件をつけたものの、それ以降どこでも住宅を建てられるようになった。市の想定以上に宅地開発は進み、5年半の間に開発許可を受けた件数は約1400件、5700区画に上った

 その結果、市の人口は増えた一方で、突然の開発ラッシュが周囲の環境を変えた。生活排水の流入に伴う水路の悪臭に対して、近隣の農家などから苦情が殺到した。新たな宅地では公共下水道の代わりに浄化槽を設置しているが、新住民の維持管理がずさんだったために起きた事態だ。

 逆に、新住民からは農薬散布や堆肥のにおいに不満が上がった。地価が安い調整区域に開発がシフトした結果、街なかでの不動産取引が落ち込むという副作用もあった。

 「子育て世代が増えるなどプラス面もあったが、虫食い開発に伴う弊害が広がってきた」(刀根則明・市開発指導課長)と、市は11年10月に開発に対する規制を06年以前の状況に戻した。現在、市はコンパクトな街づくりへ、かじを切り始めている

 行き過ぎた規制緩和を見直した川越市はまだいいのだろう。今も全国各地で宅地開発が続いている。13年だけでも、東京ドーム約960個分に当たる4500ヘクタールの農地が住宅地に変わった。

 日本の住宅建設の大きな問題点は、再建築率が著しく低いことだ。住宅着工戸数全体に対する、古い住宅を壊して建てた住宅の割合を表す指標である。

 国土交通省によると、14年度の再建築率は9.1%で、調査を始めた1988年度以降、最低だった。低下傾向が続き、初めて10%を割った。

 大ざっぱにいうと、10カ所で住宅が建設されても、古い住宅を取り壊して新しく造られるのは1カ所に満たない。かつての川越市のように、農地などでの開発圧力が今も強いことを示している。

 人口減少で住宅需要が伸び悩む一方、供給面では古い物件をそのまま残して、新規供給が続く。これが、空き家が急速に増えている、もうひとつの理由だ。

 その結果、老朽化した家屋の後始末に追われているのが全国の自治体だ。最近でも、兵庫県姫路市や鳥取市、福岡県宗像市などが、倒壊する危険がある空き家を強制的に撤去した。費用は所有者に請求するのが原則だが、これまで行政が撤去した住宅の大半は、所有者が死亡して相続も放棄されているなど、現所有者がわからない物件である。

 今後、日本は「多死社会」に突入する。維持管理の手間や税負担を嫌って親の家屋を引き継がない動きがさらに広がれば、行政任せになる空き家が爆発的に増えるだろう。

 空き家の発生を抑えるにはまず中古住宅の流通市場を整備し、売買を活性化する必要がある。そのためにも「アパート建設を結果的に促すような税制のゆがみを直すと同時に、市場参加者が共有できる住宅建設の目安を国が示すべきだ」と日本大学の中川雅之教授は話す。中川教授は10年後の着工数について「現在の3分の2から半分程度が妥当な水準ではないか」とみる。

 加えて、新築住宅は「長期優良住宅」のように耐久性に優れ、間取りの変更や維持管理もしやすい物件を中心にすべきだろう。その方が築年数がたっても取引しやすくなる。しかし、しっかりとした住宅だからといって、どこに建ててもいいわけではない。

 長岡技術科学大学の樋口秀准教授が実施した調査をみると、新潟県長岡市で09年6月から2年間に認定を受けた長期優良住宅の17%は、市街化調整区域に建てられていた。市街化区域でも中心部の物件は少ない。調整区域内の物件などは将来、コンパクトな街づくりを進めるうえで、むしろ障害になる可能性がある。

 人口に続いて20年ごろには世帯数も減少に転じ、住宅需要は本格的に減り始める。空き家の増加、それに伴う街の荒廃を防ぐためには、住宅を誘導する区域を都市計画でしっかりと定めることが欠かせないのだろう。


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【参考】

野澤千絵  『老いる家  崩れる街  住宅過剰社会の末路 』

       ※  川越について
    第1章2 新築住宅がつくり続けられるまち  62- 83


わが国は、都市を成長させる時代は終わり、都市をより成熟させていく時代に突入しました。

子供が巣立った家にリフォームが必要なように、これからは、都市にもリフォームが必要なのです。

今後、都市をより質の高いものへとリフォームしていくためには、建築を、個別敷地単位ではなく、周辺の住環境や地域全体の都市とのつながりや関わりの中で考える視点と実践が必要不可欠です。個々の建築と都市とのつながり方・関わり方、それを決めていくプロセスといったものをデザインするのが、都市計画・まちづくりと言えるでしょう。

野澤研究室での活動を通して、誰もが心安らかに、心豊かに暮らせる街の実現をめざして、新たな都市計画・まちづくりのあり方を学生の皆さんと一緒に模索・提案していければと思っています。
                                               東洋大学 建築学科 野澤 千絵

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アマゾン レビュー

2016/12/11

これからは成長が望めぬ社会。by平川克美

成長望めぬ社会 平川克美さんに聞く
皆で不満分かち合おう 若者は気づいている
経済成長を前提としたシステムが揺らぎ始めている

2016/12/3 nk   ※→桑原政則注

 米大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利に英国のEU離脱、そして相次ぐテロ。先進国が人口増大から人口減少へ、経済成長社会から物価などが下がって全体としてバランスするような「定常化経済社会」へと移行する文明史的転換期を迎え、「移行期的混乱」にあるのが背景と、事業家・文筆家で立教大学大学院客員教授の平川克美さん(66)は説く。

 「国民国家、デモクラシー、インターナショナリズムといった世界秩序の根幹が揺らぎ始め、代わってグローバル市場、強権的指導者による迅速な意思決定システム、排外的な競争主義としてのナショナリズムという新秩序がつくられようとしています。おおまかに言ってこのように今の世界をみています」

 「旧来の価値観が揺らいでいる大きな原因は、先進国では経済成長が難しくなったということでしょう。株式会社は経済成長を前提としたシステム。成長するから投資家は出資する。金利にしても年金にしても我々を取り巻く全てのシステムが成長を前提に形作られている。成長が止まってしまうと、システムの基盤が揺らいでいく」

 「そりゃ、できれば成長した方がいい。しない方がいいとは思っていません。ただ、もう、難しくなっているんです。日本は向こう50年は人口減少フェーズが続く。人口減少はマーケットの減少につながる。いまは総需要は頭打ちで、物価が下がってバランスしている定常化経済の段階にあります」

 政府などはデフレスパイラルに陥るのは良くない。かつてのような高度成長は無理だとしても、緩やかな成長が国民生活の安定につながるとの立場だ。

 「成長論者は希望を言っているだけなんですね。成長すればすべてがうまく回る。成長してくれたらいいなと。だが、現実をよく見て下さい。日銀の物価上昇目標はいつまでたっても実現しない。所得格差は広がる一方です。定常化に即した経済運営がなされてない」

 「若い人たちは気づいていますよ。私の大学の教え子は1990年代の生まれ。ものごころ付いた時から経済は定常化した状態にあります。我々の世代は年収500万円は見込めた。しかし今の若い人は大会社にでも入らないと300万円確保も難しい。だったら300万円でやっていく方向を探るしかない」

 「実際にシェアハウスに住んだり、地方に移住して農業に従事したりと、定常化に合わせた生き方を選んでいる。それを悲観的にみる人もいますが、私はまったく悲観していません」

 「三方一両損」という知恵を見直す

 実家は東京・大田の町工場。大学卒業後に海外の技術書の翻訳会社を立ち上げ、米シリコンバレーでの起業支援やビジネスカフェ運営などを手掛けた。

 「バブル時代は、自分の人生の中で、いちばんいやな時代でした。規制撤廃を叫ぶ新自由主義的な考えを持ち、増長していたのだと思います。しかし、間違っていたことに気づきました。小さな元手で大きく稼ぐというレバレッジ(=てこ)を効かせたビジネスはどうなのか。ものごとがうまくいかなくなったときは、本来に立ち戻ることが必要ではないのか。先だって、運営していたビジネスカフェ会社の経営をやめました。負債を抱えながらの投資はやめて、借金をなるべく返してしまおうというわけです」

 「右肩上がりの時代は終わった。じゃあどうすればいいのか。そこで勧めるのが『小商い』という考え方です。小商いといっても、事業規模の小さい家業の意味ではありません。信用を基本に、リピート客を離さず、大もうけはできないが事業を継続していけるビジネスです。老舗旅館などにありますね。高齢化が進んでいますから、介護分野にもビジネスチャンスがあります。介護は利用者から信用を得ることが何より大事です。『正直商売』としての介護サービスなら、いくらでも需要がありますよ」

 給料が上がっていった時代を知っている人には、成長のない社会は受け入れ難いかもしれない。

 「いまは世界的に中間層がやせ細り、一部の成功者と多くの脱落組が生まれてしまう。日本も例外ではありません。いらだちは理解できますが、定常化経済社会が当面(※あと50年は)、続くのだという現実はしっかりと認識しておく必要があります。皆が互いにハッピーな『ウイン・ウイン』は右肩上がりのときだけです」

※定常化経済:経済成長なしの経済

 「落語に『三方一両損』という噺(はなし)があります。皆が少しずつ損すれば問題は解決するという。本当は日本人はそれが得意なはずなんですよ。これからは、少しずつ不満を分け合うという意味の『ルーズ・ルーズ』という生き方にシフトしないといけない」

 「7年前に『経済成長という病』という本を出したときは多くの反論が来ました。しかし、いまは賛同してくれる人が増えています。なかなか共感は得られないかもしれませんが、『ルーズ・ルーズ』と言い続ける人がいると、やがてスタンダードになっていくのではと思っています」

(シニア・エディター 大橋正也)

 ひらかわ・かつみ 1950年東京生まれ。早稲田大学理工学部卒。「隣町珈琲」店主、「ラジオデイズ」代表、立教大学大学院客員教授(担当科目はコーポレート・フィロソフィー)。著書に「グローバリズムという病」「経済成長という病」「路地裏の資本主義」「小商いのすすめ」「喪失の戦後史」など多数。

2016/12/10

川越城:江戸の背後を守った城。 小柴 皐月

川越城:江戸の背後を守った城
 小柴 皐月  2016年12月02日  老友新聞

東京からほど近い、小江戸と親しまれ趣きのある見どころも多い街川越。ちょっとした行楽気分で訪れることが出来る川越城をご紹介いたします。

川越城の創築は太田道灌父子と伝えられています。当時対立していた古河公方足利氏に対抗するために築城され、創築期の規模の資料はなく不明ですが、「川越記」などによると、入間川流域の段丘と低湿地を要害として、当初の規模は本丸・二の丸程度だったと考えられています。

後北條氏配下、小田原城の支城として重臣の大道寺氏が入場していましたが、天正十八年、豊臣秀吉による関東攻略時に前田利家により落城。その後、徳川家康が関東に移るに際し、江戸城の北の守り神と定め川越城を重視し、三河以来の重心であった酒井重忠を配しました。

その後も、江戸の北を固める重要な基点として、徳川家に忠誠を尽くす譜代が城主を歴任し、松平信綱、柳沢吉保の老中職をはじめ多くの幕臣の重鎮を送り出し、川越城は老中職の居城というイメージがあります。

平山城である川越城は武蔵野台地の北東端にあり、その防備には西から北を流れる入間川、北を赤間川、東を伊佐沼の自然の要害に囲まれています。比高差はないものの河川と沼沢地によって堅牢性が確保されてした城を、徹底した大改修を加え、老中職の居城にふさわしく生まれ変わらせたのは、寛政十六年に城主になった松平信綱です。

一国一城令、武家諸法度発布以降の城域拡大の例は大変少なく、信綱が許されたのは北の守りとしての重要性の他に、信綱が幼少時より家光の小姓として寵愛を受けていたことによると考えられています。

信綱は城下町の整備にも着手し、五の字型と呼ばれる町割りを基本とし、城を攻めにくく、守り易くするために、袋小路、七曲り、鍵の手などによる町割りの工夫をしています

街道の整備、水運開発も特筆されるものです。水陸の流通路確保により、江戸に直結する物資供給地として栄え、文化面でも「小江戸」と呼ばれるまでに発展を遂げたのです。

川越城には嘉永元年に再建された御殿の玄関付近大広間と家老詰所のみが現存しています。全国的にも数少ない遺構です。玄関付近広間は御殿の中ても最大規模で、老樹の居城であったという格式と威厳が伝わってきます。

江戸時代に作られたといわれる、わらべ唄の「とおりゃんせ」は川越城が舞台だという説があります。天神様があった所にお城が出来てしまったため、「ご用のないものとおりゃせぬ」という歌詞になり、お城の中を通って七つの子のお祝いのお札を収めに行く……という歌です。壮大なスケールの城ではありませんが、当時の空気がひしひと伝わってくる城の一つです。

2016/11/30

ポートランド、サイクリストに優しい街


 米オレゴン州最大の都市、ポートランドは「自転車都市」と呼ばれ、車社会の米国では珍しいサイクリストに優しい街づくりをしてきました。自転車の専用レーンや優先道路の整備が行き届いています。全米各地からは「車より自転車が好き」という若者の移住者も多く、ポートランドならではのライフスタイルを満喫しています。

 ポートランドの中心部を流れるウィラメット川の西岸に位置する繁華街、ダウンタウン地区には、多くの自転車のレンタルショップがあります。ヘルメット、ルートマップ、チェーンロック、自転車用バッグも借りられます。レンタルショップのリストはポートランド市交通局の公式サイトに掲載されています。

 普段、ほとんど自転車に乗らない方にお薦めなサイクリングコースは、ウィラメット川沿いを走る自転車専用道路です。サイクリストたちは車の通行に気を取られることなく、「ブリッジタウン」の異名も持つポートランドに架かるさまざまな橋の壮大な風景を眺めることができます。

そんな橋の一つ、ホーソン橋付近は、おしゃれなレストランやショップが軒を連ね、散策をしても楽しいエリアです。また、ホーソン橋と南側のセルウッド橋を利用したウィラメット川東西両岸沿いを走る約14キロのサイクリングコースは、初心者でも半日もあれば完走でき、車道がほとんどないので快適です。

 ポートランドを訪れたら自転車で街をめぐってみてください。車の車窓からとは違う風景が見えるかもしれません。

                   


 ■アクセス 米ポートランド国際空港からポートランド市ダウンタウン地区へは、鉄道で40分。

 ■ポートランド市交通局の自転車レンタルショップリスト

https://www.portlandoregon.gov/transportation/article/71974(英語)

 海外旅行サイト「エイビーロード」 www.ab-road.net

 現地ガイド 東リカ


2016年の国際情勢 : 世界秩序の崩壊


* G0(Group of Seven)に=極なし←G2、G7、G20など
*Populism(ポピュリズム、大衆迎合主義)+ nationalism(ナショナリズム) の合体
*戦後の終焉。ガラガラポン

2014   露、クリミア併合→米欧による露経済制裁
1/      北朝鮮、水爆実験・ミサイル発射
1/      ベルギー、同時多発テロ30人
6/      英国、EU離脱
         中国:尖閣挑発。南シナ海領有。経済
7/      バングラ テロ。20人、うち日本人7人
7/      欧州テロ。ニース84人。ミュンヘン他
         トルコクーデタ。露、クリミア半島を編入
10/    ドゥテルテ旋風。暴言王
11/    トランプ次期大統領に。暴言王
         シリア内戦
11/    タイ国王逝去  混乱へ
11/    カストロ死去
11/    パククネ辞職  韓国大荒れ  【※】一院制が問題

タイ、ワチラロンコン新国王、誕生。2016/11/30

タイ新国王、試される求心力 民主化へ課題山積
王室と国民の関係変化も
2016/11/30 nk  highlighter

 【バンコク=小谷洋司】約70年ぶりの王位継承を経て、タイ王室の新たな時代が始まる。新国王になるワチラロンコン皇太子が父のプミポン前国王が半世紀以上の歳月をかけて築いた権威を引き継ぐのは容易ではない。政治対立を続けるタクシン元首相派と反対派との和解や、軍の介入を必要としない民主化は実現していない。新国王の求心力と指導力が試される。


 ワチラロンコン皇太子は、18世紀後半に成立した現チャクリー王朝の10代目の国王となる。軍事政権のプラユット暫定首相は29日の定例記者会見で「憲法の規定に従って君主に即位される。めでたいことだ」と述べた。

 新国王がどのような国王像をめざすのかはまだ見えない。前国王は18歳で即位し、地方行幸や国民生活を向上させる「王室プロジェクト」などを通じ国民の心をつかみ、「国父」と慕われた。写真、音楽、絵画などを楽しむ多才な趣味人としての横顔も好感された。

 時がたつと国民の間に個人崇拝に近い熱狂が生まれ、前国王は騒乱の収拾などで絶大な権威を発揮した。新国王はその父の陰に隠れてきた面は否めず、64歳で即位する今から偉大な父の足跡をなぞるのは難しい。「王室と国民の関係が変化するのは避けられない」(タイ研究者のデービッド・ストレックファス氏)との声もある。


 新時代の王室にとって自らへの批判を取り締まる不敬罪の取り扱いも課題だ。タイの不敬罪は最長で禁錮15年の重罪。王室批判はタイ社会のタブーとなり、欧米メディアなどから「非民主的」と指摘されてきた

 新国王は一般家庭出身の3人目の妻と14年に離婚した。その後、両親を含む妻の関係者数人が15年に不敬罪で相次ぎ有罪判決を受けた。

 プミポン前国王は05年「国王にも間違いはある」と自身への批判を容認する姿勢を表明した。不敬罪の見直しを示唆したと受け止めた人も多かったが、政府や国会は行動を起こさなかった。

 新国王が即位すると、総選挙に向けたカウントダウンが始まる。発足から2年あまりの軍政は治安安定を最大の成果としてきた。だが反軍政のタクシン派や民主派を言論統制などの強権で抑えてきた側面は否めない。

 1年間の喪があけると来年末にも総選挙が控える。約6年ぶりとなる選挙戦を機にタクシン派と反対派との対立が先鋭化する恐れもある。新たな国王を君主に頂き、タイ政治がどこへ向かうのか視界は晴れない

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タイのワチラロンコン皇太子、軍事に高い関心
2016/11/30

 ワチラロンコン皇太子はプミポン前国王とシリキット王妃(84)の長男として1952年7月28日、バンコクで生まれた。英国などで軍事を学び75年タイ陸軍に入隊、現在は陸海空3軍で大将の肩書を持つ。72年12月に前国王から王位継承権を与えられた。

 89年に昭和天皇の大喪の礼、90年に天皇陛下の即位の礼に参列するため来日した。前国王や妹のシリントン王女(61)に比べ公務の様子が報じられる機会は少ない。息子が留学するドイツで過ごす時間が長く、前国王死去後も2度渡独した。

 1987年に外国人記者団による異例の取材に応じ「王室は国をひとつにまとめる存在だ」と意義を述べたという。

 軍事に関心が高く、戦闘機やボーイング旅客機の操縦資格を持つ。3度の結婚で5男2女をもうけた。現在も次期王妃と目される女性の存在が知られている

2016/11/21

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜 Tokugawa Yoshinobu。11/22没

最後の将軍・徳川慶喜 Tokugawa Yoshinobu。11/22没

徳川慶喜(1837〜1913/11/22)は、江戸幕府の第15代将軍。
水戸藩主 徳川斉昭(なりあき)の子。
1866年、将軍職をつぎました。
翌年,朝廷に政権を返上しました。
鳥羽・伏見の戦いにやぶれると,江戸の寛永寺で謹慎しました。
静岡しずおかに隠退しました。

徳川慶喜の生涯年表をアニメ化‼︎誰でもわかりやすく、記憶に残る動画 【3+】

歴史ミステリー 徳川慶喜 戦いか平和か 【59】
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Tokugawa Yoshinobu (1837 - 1913 ) is the 15th general of the Edo shogunate.
He is the child of lord Tokugawa Nariaki, the lord of the Mito Clan. 
In 1866, he became the 15th Shogun.
In 1867 he decided taisei hokan (the restoration of political power to the Emperor) .

After the Meiji Restoration, he was compelled to live quietly in Shizuoka in 1869. 
In 1897, he moved back to Tokyo.

2016/11/19

英語コラム English Links




Japan Railway Journal 【en、video】 NHK日本の鉄道集 ビデオ



2016/11/16

タイの悲しみ今も 国王死去から1カ月 2016-11-12 【4+】


タイの悲しみ今も 国王死去から1カ月  2016-11-12:日本経済新聞 【4+】

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タイ・バンコク・ポスト「最善の方法は、国王の志を継ぐこと」 2016.10.24 サンケイ 

 70年余りタイに君臨したプミポン・アドゥンヤデート国王が13日に88歳で死去し、政府はワチラロンコン皇太子(64)が王位を継承すると発表した。タイ各紙は、社会事業に自ら汗を流し、政治の安定を支えた国王の功績をたたえ、国民の悲しみを一斉に伝えた。一方、英国紙は、皇太子が新国王として国民の敬愛を得られるかは疑問だとして、王位継承が政治不安を招きかねないと指摘した。


バンコク・ポスト(タイ)「言葉で表現できないほどの喪失感」

 プミポン国王の死去を受け、タイの主要各紙は翌14日付から一斉に題字を白黒に変えるなどして弔意を表した。国民から深く敬愛された国王の生前の功績を写真グラフで振り返るなど、紙面で「名君」をしのんだ。各紙の社説は、読者に悲しみを乗り越え、国父の遺訓を肝に銘じて、国の結束を維持し発展を継続するよう呼びかけた。

 英字紙バンコク・ポスト(電子版)の14日付の社説は冒頭、「言葉で表現できないほどの喪失感、嘆き、苦悩、これが全世代のタイ国民が今日、抱いている感情だ」と述べ、読者と悲しみを共有した。


方、「悲嘆にくれながらも、国王をたたえる最善の方法は、国王の志を継ぐことだと、みな肝に銘じるべきだ」と訴え、健康管理や教育、音楽からスポーツ、科学発明や農村開発など、幅広い分野で才能を発揮し、国に貢献した国王への敬意を示した。

 一方、英字紙ネーション(同)も15日付で「国王が掲げた明かりに導かれて前進を」と題する社説を掲載。国王が若いころ、自ら地方の現状を視察して社会事業を立ち上げる「王室プロジェクト」を推進した際、カメラと地図を手に農村を回った国王の写真が、多くの国民に親しまれたことなどに触れた。

 ネーション(同)の17日付社説は、国王死去後に国の結束を守るのは「私たちの責任だ」の表題を掲げた。クーデターなど政情不安が繰り返されるたび、国王は国民の「父親」として対立する勢力に結束を呼びかけ、「大規模な内戦を回避してきた」とたたえ、国民に自覚を呼びかけた。さらに18日付社説では、諸外国との交流を進めた国王の功績に言及した。1959年のベトナムを最初に、アジアや欧米など30カ国近くを歴訪し、王室外交を展開したと紹介。国王が進めた地方開発事業は、隣国にも恩恵を与え、タイの評価を国際的に高めたと振り返った。(シンガポール 吉村英輝)


聯合早報(シンガポール)「新国王、支持と尊敬を得られるか」

 タイを取り巻く東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国は、プミポン国王の死去と王位継承の行方に高い関心を示している。タイは域内でインドネシアに次ぐ第2の経済大国で、その政情不安は周辺国に大きな影響を及ぼしかねないからだ。

 シンガポールの中国語紙、聯合早報は15日付で「タイ国王の死去はタイ政治の不安定化につながりかねない」と題する社説を掲載。国王は「長く国の要となってきた」とし、その死去により、タイ政治が再び不安定化する事態を多くの人が懸念していると指摘した。

 社説は、国王の健康問題は長年指摘されてきたが、「王位継承については公には議論されてこなかった」とした上で、その理由について、70年間にわたり君臨してきた国王の偉大さをあげた。国王は人生の全てを国民にささげ、地方も含めたタイ国民の生活向上に大きく貢献したとたたえた。

 ワチラロンコン皇太子が、国民とともに国王を追悼することなどを理由に、王位継承に時間をかけたいとしていることについては、「賢い選択だ」と評価。政治、社会、経済混乱の可能性を押さえ込むことが、軍主導の暫定政権が民政復帰に向けた総選挙を行う環境整備につながるとした。

 皇太子については、すでに高齢で、長く欧州で過ごしたため、「国民は近い存在とは思っていない」と厳しい見方を示した。一方で、皇太子は暫定政権のプラユット首相と近く、軍とも関係があり、王位継承は円滑に進むとの見方も併記。新国王として即位した後、父親同様に、複雑な政治環境の調停者としての指導力を国民から認められ、支持と尊敬を得られるか、様子を見守る必要があると説いた。

 その上で、王位継承後にタイが再び政治混乱に陥れば、プラユット氏が軍による支配を強化する理由を与えると分析。総選挙に向けて新政党を立ち上げ、プラユット氏の首相続投を模索する動きがあることに注目した。(シンガポール 吉村英輝)

                  


ガーディアン(英国)「皇太子の王位継承に疑問」

 英紙ガーディアンは14日付で、70年以上在位し、民主主義国家としてのタイの安定の象徴だったプミポン国王の死去で、政治的に不安定な状態が懸念されると警告した。

 プミポン国王がおよそ20回ものクーデターや騒乱に遭遇しながら70年間在位し、タイが民主主義国家であり続けたことについて同紙は、「国王が国家統合の父となったからだ」と指摘。

クーデターという国家存続の危機に際し、関係者を王宮に呼んで事態を沈静化させたエピソードに触れ、国王を立憲君主として評価した。国民は深い悲しみに包まれているとも報じた。

 その上で、同紙は、ワチラロンコン皇太子が3度の離婚歴がある「プレーボーイ」で、新国王として国民の敬意と信頼を早急に得られるかは疑問だとして、「国王の死はタイを不安定にさせる政治的な混乱をすでに引き起こしている」と指摘した。

 また、英紙タイムズは14日付で、国民から敬愛されたプミポン国王が「英国のエリザベス女王や日本の天皇陛下など、ほかの立憲君主たちに劣らず影響力があった」と称賛した。「いかなる後継者でも国王に匹敵する人気を得ることは困難だが、数々の常軌を逸した行動を重ねて来たワチラロンコン皇太子が即位することは、多くのタイ国民には受け入れがたい」と述べ、皇太子の王位継承がすんなり進むかどうかには疑問が伴うという見方を示した。

 その理由として同紙は、内部告発サイト「ウィキリークス」が2010年に公開した米外交公電を引用した。この中で、皇太子は愛人と愛犬のミニチュアプードルを伴ってドイツで過ごし、奇怪な行動をしたと記されていたと伝えた。3人目の妻で離婚したシーラット妃の親族が汚職で逮捕されたことも報じた。同紙は米国の外交官がタイの有力者から聞いた証言として、「皇太子より妹のシリントン王女が王位を継承する方が好ましい」という見方があったことも伝えた。(ロンドン 岡部伸)



2016/11/08

天海は、1560年から4年間足利学校で学ぶ <足利学校。天海

天海は、1560年から(24歳から)4年間足利学校で学びました。
儒教、易学、軍学も学びました。

このため、徳川家康の信厚く、懐刀(ふところがたな)となりました。

陰陽道や風水を取り入れ、江戸城のお堀を「の」の字型にしたりしました。

2代秀忠、3代家光も補佐しました。


足利学校では、「足利学校で学んだ主な人々」を
7名あげています。
  1. 田代三喜(たしろさんき) 
  2. 曲直瀬道三(まなせどうさん) 
  3. 九華(きゅうか)
  4. 三要
  5. 寒松
  6. 天海
  7. 涸轍祖博(こてつそはく)

天海 コラム

2016/11/06

足利学校コラム。足利市




鑁阿寺

鑁阿寺(ばんなじ) 【3+】

日本最古の大学・足利学校は、日本遺産

日本最古の教育機関・足利学校は、日本遺産に認定されています。
「日本遺産」制度は、2015年に始まりました。世界遺産への入り口でしょう。


足利学校は、平安時代832年に小野篁(おののたかむら)が創建したとの説があります。
1439年、関東管領(かんれい)・上杉憲実(うえすぎのりざね)が再興しました。

1549年、フランシスコ・ザビエルが、「足利学校は、日本国中最も大にして最も有名な坂東(ばんどう)のアカデミー(坂東の大学)」と紹介し、海外にまでその名が知られました。

儒学、易学、さらに兵学、医学も教えました。
学費は無料です。住み込み制で、学生は、近在の民家に寄宿しました。

地元では、「学校さま」とよんでいます。


天海も4年間学びました。


「日本遺産」に18件認定。足利学校など


足利学校の歴史 【14+】
足利学校 足利市

「日本遺産」に18件認定。足利学校など。2015/4/24 nk

「日本遺産」に18件認定 文化庁、旧弘道館や四国遍路など
「ストーリー性」基準
2015/4/24 nk。一部編集

 文化庁は24日、全国各地の有形無形の文化財を地域やテーマごとにまとめた18件を「日本遺産」として初認定した。歴史的な価値や意義をわかりやすく伝えるストーリー性があり、その魅力を海外にも発信できることを基準とした。地域の観光振興につなげる狙いで、東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年までに100件程度に増やす予定

 今回認定されたのは、水戸藩校だった「旧弘道館」など茨城、栃木、岡山、大分の4県の旧教育施設で構成する「近世日本の教育遺産群」や、京都府の「日本茶800年の歴史散歩」、四国4県の「四国遍路」など。複数の自治体による申請も可能で、計83件の申請から、有識者でつくる審査委員会が選んだ。

 文化庁は今年度予算に事業費8億円を計上。今後も年1回ペースで認定する予定で、認定すれば多言語ホームページの作成やガイド育成などの事業費を国が補助する。

 「近世日本の教育遺産群」は、旧弘道館のほかに日本最古の高等教育機関とされる「足利学校跡」(栃木)、庶民の学校だった「旧閑谷(しずたに)学校」(岡山)、私塾の「咸宜(かんぎ)園跡」(大分)などで構成。日本の近代化の原動力となった高い教育水準を支えた藩校や私塾の役割を評価した。

 京都府宇治市などの「日本茶800年の歴史散歩」は、茶道など日本の喫茶文化の展開を生産・製茶面でリードした歴史と、茶畑の景観の美しさが併せて評価された。

近世日本の教育遺産群




日本遺産(Japan Heritage) wp

2016/11/04

優勝の日本ハム支える背広組 集客や育成に知恵 2016/10/31 nt

優勝の日本ハム支える背広組 集客や育成に知恵
2016/10/31 nt  。一部編集

/出典:mainichi
広島を退けて10年ぶりの日本一。長い目で組織を築いた日本ハムが大きな花を咲かせた。北海道移転から13年で5度のリーグ優勝を果たし日本一は2度、今季の観客動員数は移転後初めて200万人を突破した。安定した成績と好調な事業は球界屈指。その双方を支えるのが異色の経歴を持つ多様な人材たちだ。

■平均3万人動員

 例年伸び悩むシーズン序盤に動員を押し上げたのが5月に行った北海道新幹線とのタイアップ企画だった。3日間限定で入場者全員に限定ユニホームを配布するなど約1カ月に及ぶイベントは球団がJR北海道に持ちかけて実現したもの。今季、札幌ドームでの平均観客動員数が3万人を超える要因になった。

 ファンをひき付ける仕掛けを打ち出す事業部門は多くが外部からの招請で、親会社からの出向組はほとんどいない。今回の企画を主導したのも球団採用の職員だ。スポーツマーケティング会社出身者を本部長に据え、元商社マンや交流サイト大手の元社員らが要職に就き、事業を切りまわす。

 移転時から組織改革を進めてきた島田利正球団代表は「時代の流れに合わせ、時には先取りしなければ。野球界に漬かっていない人の方が斬新なアイデアを持っている」と語る。「婚活シート」などこれまで行った先進的な試みは枚挙にいとまがない。ニーズを捉えたイベントの積み重ねがファンに受け入れられた。


 吉村浩ゼネラルマネジャー(GM)はプロ出身ではなく、かつて米デトロイト・タイガースのGM補佐だった。引退した選手の「再就職先」のイメージも強いスカウトにも、日本IBMを経て高校教諭から転身した大渕隆スカウトディレクターを筆頭に元教員が在籍する。「スカウティングと育成」を強化の柱に掲げる中で複眼的に選手を評価して個性豊かな集団をつくりあげてきた。

 「多様な選手を採るには我々も多様でないといけない」と大渕氏。野球の技術だけでは、プロとして大成はおぼつかない。壁にぶつかったときに自ら道を切り開く問題解決能力が必要。大渕氏いわく「自分で考え、表現する人間力」を見抜くには「元プロの目だけでは足りない」。それを補う教員らの眼力、というわけだ。

■外部人材を登用

 今季のレギュラーは外国人を除いて生え抜きばかり。大谷のみならず、西川や中島ら若手の活躍でたどり着いた日本一は、多様な物差しで選手をはかる球団の思想が実ったものだ。

 運営・編成面で親会社の意向をうかがう球団は今もある。独立経営を掲げる日本ハムにその縛りはない。島田球団代表によると、それは親会社の「懐の深さ」のおかげ。北海道移転を機にフリーハンドを与えられた球団は、外から人材を積極的に登用した。「既成概念にとらわれずに新しいことに挑戦できた」と島田代表。日本一になったユニホーム組を、多様な履歴と思想を抱えた背広組がしっかりと支えている。(渡辺岳史)

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北海道日本ハム ファイターズ 公式ページ

日本ハム ファイターズ Naver

松山英樹、ゴルフ世界選手権V。日本勢で初 2016/10/31 nt

松山英樹、世界選手権V。日本勢で初
2016/10/31付 nt 、一部編集
【※】
世界ゴルフ選手権シリーズで松山英樹(24)が7打差のぶっちぎりで優勝。アジア人初のアメリカツアーの制覇も目前。

/出典:atpress.ne.jp
【上海=共同】男子ゴルフの世界選手権シリーズで米、欧州ツアーを兼ねるHSBCチャンピオンズは30日、上海で最終ラウンドが行われ、首位から出た松山英樹が6バーディー、ボギーなしの66で回り、通算23アンダーの265で優勝した。

 世界の主要ツアーが1999年に創設した世界選手権シリーズの個人戦優勝は日本勢初。米ツアーでは今年2月のフェニックス・オープン以来、2季連続の3勝目で丸山茂樹に並ぶ日本勢最多となった。賞金162万ドル(約1億7千万円)と来季から3シーズンの出場資格を得た。



 1999年に始まった世界選手権シリーズは年に4試合。世界ランク上位選手しか出られず「準メジャー」として位置づけられている。HSBCチャンピオンズには10傑のうち1位のジェーソン・デー(オーストラリア)、4位のジョーダン・スピース(米国)を除く世界の猛者が集結した。

 選手層の分厚いフィールドで、松山英樹は日本勢初の個人戦優勝を果たした。過去に米ツアーで首位発進した試合では10位、3位と逆転負けしているが、3度目にして初の逃げ切り勝ち。しかも3打差から7打差に広げての圧勝だ。3日目、最終日はボギーなし。コースマネジメントにたけ、無駄にスコアを落とさないディフェンス力が24歳の強みでもある。2週前の日本オープン(埼玉・狭山GC)では難コースをあっさり攻略し国内メジャー初制覇、前週のCIMBクラシック(マレーシア)でも2位。

 完璧主義者で自分に厳しく、向上心の塊だ。米ツアー参戦4シーズン目に入り骨太の体も技術も成長著しい。マスターズや全米オープンなどコース設定がタフなメジャーの硬いグリーンでも球を止めるため、より高弾道のショットを追求している。

 日本人選手の世界ランクは87年の中嶋常幸の4位が最高。97年に尾崎将司が5位としているが、現在10位の松山が1桁にランクインするのは確実だ。今回の勝利はライバルたちにその強さを示し、今後の戦いにも生きてくるはず。悲願のメジャー制覇へ、また一歩前進した。

(吉良幸雄)


松山英樹  プロフィール 

「山・鉾・屋台行事」ユネスコ無形文化遺産に。氷川祭(ひかわまつり)の山車も

「山・鉾・屋台行事」ユネスコ無形文化遺産に
川越氷川祭(ひかわまつり)の山車(だ し)など33件一括で
2016/11/1  nt、highlighter  一部編集

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の補助機関は「京都祇園祭の山鉾(やまほこ)行事」(京都)など18府県33件の祭りで構成する「山・鉾・屋台(やまほこやたい)行事」を無形文化遺産に登録するよう勧告した。登録はほぼ確実になった。

 日本からの無形文化遺産の登録は、2014年に「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」が認められて以来。

 ユネスコの補助機関は「山・鉾・屋台」の33件の祭りについて「日本の地域文化の多様性を示している」と評価し、登録基準を満たしていると認めた。

 登録対象の行事は、地域の安泰や豊作などを願って住民が執り行う。木工や金工、漆塗り、染織といった伝統技術で飾った山車を引いて練り歩くのが特徴。多くは江戸時代が起源で、33件とも国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 政府は「何世紀にもわたって維持され、地域の絆を強める役割を果たしている」と重要性を強調し、昨年3月に登録を申請していた。

 33件のうちすでに登録されているのは「京都祇園祭」と「日立風流物」(茨城)。政府は今回、この2件を含め特徴の似た行事をグループ化し、一つの遺産として登録し直す手法で対象行事の拡張を図った。

 政府は国の文化財に指定した祭礼行事や伝統工芸などを順次、無形文化遺産に申請している。18年には「男鹿のナマハゲ」(秋田)や「甑島のトシドン」(鹿児島)など8県の8行事をグループ化した「来訪神 仮面・仮装の神々」の登録が審査される。〔共同〕

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山・鉾・屋台行事 一覧

2016/11/03

訪日客、2016年年間2000万人突破 地方へ分散進む

訪日客、2016年年間2000万人突破 地方へ分散進む
2016/10/31 nk、 highlighter

【※】
2013年  1000万超
2016年  2000万超
2020年  4000万超 (予定)


 観光庁は31日、2016年の訪日外国人観光客が30日に2000万人を超えたと発表した。暦年ベースで2000万人の大台に乗せるのは初めて。中国、韓国、台湾などアジアからの訪日客が伸びをけん引し、地方を訪れる人も増えている。政府は20年に訪日客4000万人の目標を掲げる。宿泊施設の確保や、一時ほど振るわない消費の底上げなど課題はなお多い。


 石井啓一国土交通相は31日、「観光先進国の実現を目指し、(観光振興を)政府一丸となって強力に推進する」とのコメントを発表した。

 訪日客は13年に初めて1000万人を超え、14年1341万人、15年1974万人と順調に拡大してきた。今年は4月の熊本地震の後、一部で九州旅行を手控える動きが出たが、すぐに持ち直した。通年では2400万人程度に達する可能性がある。

 1~9月の訪日客の内訳をみると、トップは中国の約500万人で、全体の3割近くを占める。韓国、台湾、香港を含む東アジアで7割超に達し、訪日客数の伸びを引っ張った。格安航空会社(LCC)に加え、比較的安価なクルーズ船の利用も急増した。1~9月の外国船の寄港は1176回と前年同期比1.5倍だった。

 訪れる場所は東京と大阪を結ぶ「ゴールデンルート」の人気が高いが、地方にも分散しつつある。外国人の延べ宿泊者数では、地方の伸びが三大都市圏を上回る傾向が続いている。

 20年に4000万人に増やす政府目標の達成には課題も多い。まずは空港や港湾、ホテルなど受け入れ環境の整備だ。日本政策投資銀行の試算によると、20年に東京都内で1880万人分の宿泊施設が足りなくなる可能性がある。政府は羽田空港の容量拡大やホテル用地の容積率緩和、住宅に有料で旅行者を泊める民泊解禁の検討を進めている。

 観光資源の掘り起こしも急務だ。訪日客数の拡大はアジアの旅行需要に支えられてきた面が大きい。息の長い訪日ブームにつなげるには、何度も日本を訪れるリピーターを増やしたり、周遊型の旅行を促したりする必要がある。文化財や自然公園を観光資源として磨きをかける取り組みも求められる。

 円高やアジア経済の減速で7~9月の訪日客消費は前年同期比マイナスに転落した。訪日客の関心は家電やブランド品から文化や体験に移っているとの指摘もある。潜在的な需要を引き出す官民の努力も欠かせない。



2016/10/24

タイ: プミポン国王を歌で追悼。 15万人が賛歌斉唱

タイ プミポン国王を歌で追悼 15万人が賛歌斉唱  NHK

NHK:
今月死去したタイのプミポン国王を歌で追悼する催しが首都バンコクの王宮前で開かれ、およそ15万人が参加しました。
タイでは70年にわたって国を治めたプミポン国王の死去を受けて、全国で追悼ムードが続いています。22日はバンコクの王宮前で国王をたたえる歌を合唱して追悼する催しが開かれ、タイ各地から集まった人たちは警察の発表でおよそ15万人に上りました。

黒い服を身にまとった人たちがプミポン国王の写真や国王の肖像入りの紙幣などを掲げて賛歌を斉唱し、中には涙を流しながら歌う人の姿も見られました。催しに参加した43歳の男性は「プミポン国王への忠誠を表すために来ました。国王は天から私たちを見下ろして、タイの人々がひとつになることを望んでいるはずです」と話していました。

この日の合唱の様子は多くのカメラを使って記録され、タイの映画館で上映前に流すのが慣例の国王をたたえる映像に加えられることになっています。

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タイ 異邦の王から国父へ
2016/10/23付 nk。 highlight

 13日に死去したタイのプミポン・アドゥンヤデート国王(ラマ9世)の治世は第2次大戦後の激動期に、予期せぬ形で始まった。

  絶対王制が続いたタイ。1932年の立憲革命以降、王室は脇に追いやられていた。終戦を機に、タイを取り巻く環境が新たな局面に入った46年6月9日の朝、実兄アナンタマヒドン国王(ラマ8世)が王宮の寝室で、額を銃で打ち抜かれているのが見つかる。同日夕、弱冠18歳のプミポン国王が跡を継いだ。

 事件の真相はいまも不明だ。新旧国王兄弟がよく銃で遊んでいたことが臆測を呼んだ。70年代に英国放送協会(BBC)との会見でプミポン国王は、誤射事故や自殺はあり得ないとしつつ、内外の「有力者」が捜査を封殺したと語った。

 治世早期は様々な意味で異邦の王だった。1927年の生誕地は米マサチューセッツ州。30年代初頭に母親に連れられスイスに移った。即位後もローザンヌ大学で学業を続け、バンコクに定住するのは51年から。即位後しばらくはタイ語よりフランス語を得意とした。

 国の発展と安定の要に王室を据えようと、国王を前面に打ち出したのは1957年のクーデターで首相に就いたサリット陸軍元帥だ。国民は次第に「国王は特別な徳を持つ」として信仰に近い感情を抱くようになる。32年の立憲革命で落ちた王の権威は復活し、国父と慕われるようになっていった

 自ら国内各地を訪れ、医療、教育、灌漑(かんがい)、少数派差別など、タイが抱える問題に直接触れた。55年にはチャクリー朝の王として初めて、「イサーン」と呼ばれるタイ東北部を訪問。王が主導した開発プロジェクトは数千件にのぼる。97年のアジア金融危機の後には、仏教の「足るを知る」考え方に基づき「充足経済」論を提唱した。

 政党による利権政治を嫌い、王制の持続を希求した。軍に対する姿勢は揺れたが、タイ政治にとって最も危険なのは軍の分裂であることも認識していた。32年の革命以来、クーデターは21回にのぼり、13回が成功しているが、クーデター成立に必要な国王の承認を拒否することはなかった。

 73年に軍が学生に銃撃を加えた際は軍事政権トップを国外に追放した。92年にやはり軍が民主派デモ隊に発砲した際は、軍トップを兼務する首相らを王宮で叱責し退陣させた。ただ、共産主義が東南アジアに広がってきた76年に、バンコクのタマサート大学で46人以上の学生を警察や右翼が虐殺した事件では、調停役も判官役も果たせなかった。

 タイ憲政史上最も民主的とされる97年憲法を支持した。信教の自由を重視し、仏教の国教化を避けるよう働きかけた。最長で懲役15年が科せられるタイの不敬罪を「問題」として、廃止を呼びかけたこともある

 21世紀に入りタクシン元首相派と都市部保守派の対立でタイは分裂状態に陥った。そんななか王妃、皇太子のほか、3人の王女を残し、88年の生涯を閉じた。

(Nikkei Asian Reviewアソシエートエディター ドミニク・フォルダー)

2016/10/20

東京から地方への流れを。 nk2016/10/20

東京から地方への流れを
2016/10/20付 nk

 列車に乗って地方を旅してみると、地方の疲弊ぶりが身に染みる。欧州旅行で感じる地方の美しさとは格段の差がある。

 とはいえ、日本の地方にはまだまだ見るべきものがある。伝統的な産業や食材も残されている。そんな魅力的な地方が壊れてきた背景として、次の3つを指摘しておきたい。

 1つは地方文化に対する誇りが薄れたことである。東京だけを見て、それに憧れ、自分たちの文化を蔑んできた。言葉への執着のなさが典型だ。

 しかし東京のどこが良いのか問い直してみよう。大枚をはたいて郊外に狭い家を買い、通勤地獄を味わいながら職場に毎日通うことが東京生活の最大の楽しみなのか。

 2つめはインフラの劣化である。地方の願いは新幹線が通ることとされるが、それが本当に地方を活性化させるのか。せいぜい県庁所在地と大都市を結ぶだけで、新幹線は地方の文化や経済を空洞化させているのが実態だ。新幹線への願いは「箱物崇拝」的である。

 地方の最重要課題は、住民が満足する生活を地方だけで完結できるためのインフラ構築である。在来の鉄道網の複線化やバス路線の維持、病院の整備などを指摘しておきたい。

 最後の1つは人口減少と老齢化である。これは日本全体の問題だが、衰退した地方から若者が都市部に流出し、それが地方の衰退をさらに加速させている。

 今後の日本の成長は海外需要に依存している。国内ではない。この事実は東京の価値を引き下げている。企業が東京に本店を置くのにこだわる必要はない。世界各地にアクセスできるなら、地方の拠点で十分だ。

 社員の生活や勤めやすさを考えれば、地方拠点に大きな価値がある。インターネットや情報処理技術の発展は、地方に住み、経済活動をするハードルを低くしている。物理的に移動せざるを得ない場合の交通インフラさえ整っていれば、大きな支障はない。

 地方活性化に向けて、政府には斬新な発想が求められる。地方へのインフラ提供とともに重要なのは、課税制度を使って東京から地方へ所得の再分配を図ることである。企業や個人が地方に経済的魅力を感じるようになれば、それが呼び水となり、人口が東京から地方へと流れる。

<大機小機(癸亥)

2016/10/17

カマクラ?ナラ? 外国人、地方の観光地を1割も知らず

カマクラ?ナラ? 外国人、1割も知らず 地方の観光地

nk 2016/10/17  highlighter

 米コンサルタント会社マッキンゼー・アンド・カンパニーが実施した米英などの外国人アンケートで、鎌倉や奈良など地方の有力観光地の認知度が1割に満たないことが16日までに分かった。

 政府は2020年に訪日客を2015年の2倍の4千万人に増やす方針を掲げる。だがマッキンゼーは海外経済の成長に伴う訪日客の自然増だけでは940万人不足すると試算。目標の実現には、地方を外国人に知ってもらう効果的な取り組みが必要だと提言した。

 アンケートは今年4月、米国・英国・オーストラリアの計1783人から回答を得た。鎌倉を知っているのは9%、奈良は7%、日光は5%、伊勢神宮は3%にとどまった。

 だがそれぞれの観光地を説明した後、「魅力を感じた」と答えた人の割合は34~42%に増えたという。

 マッキンゼー日本法人の桑原祐パートナーは「地方の観光地は全然知られていないが潜在的な魅力は間違いなくある」と指摘。この差を埋めれば東京、大阪、京都に偏る訪問先の拡大につなげられると強調した。

 具体的には外国人旅行者の視点を取り込んで国ごとの好みに合わせた観光PRをしたり、官民共同でIT活用や観光インフラの整備に取り組んだりする施策を挙げた。

アセアン。ASEAN。東南アジアのページ








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2016/10/16

アジアの企業と共に成長を <nk 社説

アジアの企業と共に成長を
2016/10/9 nk highlighter

 日米欧の先進国の景気がもたつくなかで、アジア経済の成長が目立っている。6~7%で伸び続けるベトナム、フィリピンを筆頭に、特に東南アジア諸国連合(ASEAN)の活力は旺盛だ。

 域内人口は6億2千万人と欧州連合(EU)を上回り、中間所得層が消費で内需を支えている。10カ国合計の国内総生産(GDP)は2030年までに日本を抜き、8兆ドルに達するとの試算もある。

 成長力の源泉は、地元の企業群だ。デジタル分野の技術革新や収益モデルの刷新に挑む企業の姿は高度成長期の日本を思わせる。

 日本はアジアの元気を見習いたい。バンコクで開いた国際会議「日経Asia300グローバル・ビジネス・フォーラム」は、自らの言葉で経営を語るアジア企業の経営者が目立った。用意した原稿を読む登壇者は皆無に近い。

 タイの最大財閥チャロン・ポカパン(CP)グループのタニン・チャラワノン会長は、技術や消費動向の変化への機敏な対応を強調した。「リスクをとれば、日本企業はもっと成長できる」との指摘は、内部留保をもて余す日本の経営者の耳に痛いのではないか。

 インドIT(情報技術)最大手タタ・コンサルタンシー・サービシズのナタラジャン・チャンドラセカラン社長は「デジタル化は経済の『非物質化』を意味する」と、伝統的なモノ作りからの発想転換を促した。経済の未来像を予見し、先手を打って投資する姿勢が勝敗を分けるのは間違いない。

 トップの指導力が強い一方、国有企業や財閥が幅をきかし、経営の情報開示が乏しいなど、新興国の企業には課題も多い。だが域内への投資が増えるにつれ、透明性を高める圧力が増すだろう。

 アジアの有力企業約300社を対象とする株価指数「日経アジア300指数」の公表が12月から始まる。アジア企業の実像を見定めるうえで役立つはずだ。日本とアジアの企業が経営を競いつつ公正で活気ある市場を築くことが、地域の長期的な成長につながる。

安定の支え失ったタイに必要な「国民和解」

安定の支え失ったタイに必要な「国民和解」
2016/10/15付 nk社説


 タイのプミポン・アドゥンヤデート国王(ラマ9世)が亡くなった。国民の敬愛をあつめ政治と社会の安定の支柱となってきただけに、これからのタイ情勢は心配だ。注視していく必要がある。

 1946年6月に18歳で即位した。立憲君主制に移行して15年もたっていないころで、体制は盤石とはいえなかった。実際、軍事クーデターと民政移管がくり返される不安定な状況がつづいた。

 そんななかで国王は政権に正統性をあたえる役割をになった。一方で、精力的な地方視察などによって多くの国民の心のよりどころともなった。70年あまりにおよんだ在位は、立憲君主制をタイに定着させたといっていい。

 カリスマ的な影響力を世界にみせつけたのは92年5月、政府と反政府勢力の衝突でたくさんの死傷者が出たときだ。双方の指導者を王宮に呼びつけ、ときの政権に退陣を命じて事態を打開した。

 63年に来日するなど多くの友好国を訪れ、タイの国際的な存在感をたかめた。インドシナで共産主義政権が相次いで生まれた70年代には、王制のタイが共産主義に対する防波堤となった。西側の一員となったことは経済発展に有利にはたらき、80年代からのめざましい成長につながった。

 この10年、タイはタクシン元首相を支持する勢力と反タクシン勢力の党派対立に揺さぶられてきた。混迷が長引きクーデターに発展した一因は、健康のおとろえた国王がかつてのように力強い調停役をつとめられなかったことだ。

 後を継ぐとみられているワチラロンコン皇太子に、プミポン国王のような求心力をすぐには期待できない。国民が精神的に動揺したり、服喪期間に経済活動が萎縮したりする心配もある。プラユット暫定首相はじめ軍事政権は悪い影響を抑える努力を求められる。

 大切なのは党派対立をやわらげる「国民和解」の取り組みだ。根っこにあるエリート層と貧困層の亀裂を修復する必要がある。

 それには幅ひろい意見を集約する民主主義の働きが欠かせない。来年にも総選挙を実施して民政に移管するという段取りを、着実にすすめなくてはならない。

 タイには4000社をこえる日本企業が進出している。中国がアジアの覇権を追う姿勢を強めるなか、日本にとって重要な外交パートナーでもある。タイの安定と民主化を手助けしていきたい。

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春秋
2016/10/16付 nk

 タイが経済危機に見舞われた1997年。その行く末をあれこれ論じているうちに、華僑の友人がつぶやいた。「この国のためには死ねないけれど、国王のためなら死ねる」。劇画のセリフのようだ、と内心で苦笑しながら、敬愛の念の深さに胸を打たれた記憶がある。

▼おなじころ、たくさんの外国人記者を前にアナン元首相がプミポン国王をたたえて口にした一言も、耳に残っている。「かれは最高だ」。いずれも英語だったから理解できたのだが、おそらくタイ語ならばもっと熱烈で、ずっと敬意にあふれた口ぶりになったのだろう。とにもかくにも、プミポン国王の人気は絶大だった。

▼カリスマは一朝一夕にできたのではない。政府の高官から聞かされたことがある。「われわれが知らないへんぴな地方の名前をあげて、以前はこうだったが今はどうか、と聞いてくる。あれほど地方の実情に通じた人は政府内にいない」。かずかずの地方視察をはじめ王としての職責に精励した姿が、国民を魅了してきた。

▼70年にわたってタイに君臨してきたプミポン国王が世を去り、心のよりどころをなくした人たちのことが思いやられる。やはり20年ほど前にバンコクの女性が語ったことばを思い出す。「国王が亡くなったら、この国を離れるわ」。ほほ笑みの国と呼ばれるタイだが、カリスマなきあとの不安感が漂っているようにみえる。

2016/10/15

家康なぜ嫌われる? 平和主義者、軍部の不評買い

家康なぜ嫌われる? 平和主義者、軍部の不評買い

毎日新聞2016年10月11日を抜粋編集

 永田町で、政界きっての家康好きとして知られる、長妻昭 衆院議員を議員会館に訪ねた。事務所の壁には「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず……」でおなじみ、「家康公遺訓」が恭しく額に掲げられていた。

 「遺訓には『怒りは敵と思え』ともある。やみくもに怒らず、理不尽な社会・政治は許さない、という『正しい怒り』が肝要です。もっとも家康の境地にはまだまだ至りませんが……」

 長妻さんがほれ抜いた家康は、NHKの歴史情報番組「歴史秘話ヒストリア」(3月16日放送)で視聴者が選ぶ「好きな歴史上の人物ベスト5」では、
      1位=土方歳三
      ▽2位=織田信長
      ▽3位=伊達政宗
      ▽4位=石田三成
      ▽5位=毛利元就−−。
家康はお呼びでない。

 「うーん。信長や秀吉に比べると地味ですが、地道に人々の支持を得て、世界でもまれな260年の太平の世を築いた。これはすごいことですよ。家康のマニフェスト、ご存じですか」。家康は合戦で「厭離穢土(おんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)」と大書した旗を掲げていたという。汚れた現世を戦いのない浄土にしたい、という大意だ。

 「『何より大切なのは平和だ』というマニフェストですが、これをきちんと実現した。信長、秀吉の政権は結局、短命でしたし。派手な言動に走らず、地道に歩むことが大切です」と長妻さん、額を見上げながら、しみじみ説いた。

 その平和主義者の家康が嫌われるのはなぜか。歴史学者の小和田哲男静岡大名誉教授は「平和な世を築いたことが家康評を低くした要因かもしれません」と逆説的に説く。

 家康は秀吉の死後、「関ケ原の戦い」で豊臣家の天下を奪って江戸幕府を開き、さらに「大坂冬の陣・夏の陣」で豊臣家を滅ぼした。源義経や真田幸村らがヒーローになるように、判官びいきの日本人の情緒が家康嫌いを生んでいるという見方が一般的だが、小和田さんは「それだけではありません」と言うのだ。

 「明治以降の歴史教育のあり方の影響も大きい。家康は『平和主義者』ととらえられ、軍部などに評価されなかったのです」

 それを裏付ける900ページ超の大著「教科書の歴史」(56年)に行き当たった。教育史学者の唐沢富太郎氏が戦前の全教科書を精査した労作である。これによると、戦前の学校教育が最も重視した「修身」の国定教科書(03〜45年)に秀吉は12回登場し、明治天皇(22回)、二宮金次郎(18回)、上杉鷹山(15回)に次ぐ多さだった。これに対し、家康の登場はたった1回だ。秀吉の家臣、加藤清正ですら、11回も登場するのに、だ。

 「秀吉は『朝鮮出兵』を引き起こしましたが、対外膨張を目指していた戦前の日本にとって、秀吉は『英雄』なのです。大陸に攻め込んだ秀吉に続け、と。当時の軍国主義的風潮にも合致したんでしょう」と小和田さんはみる。家康は秀吉の対外膨張路線をやめ、朝鮮との国交を回復した。「この点が戦前の政府・軍部にとって理想の人物ではないし、何より英雄・秀吉の豊臣家を滅ぼしたのだから良く言われるはずがありません」

 尋常小学校の「国史」教科書(35年)でも秀吉は16ページが割かれるが、家康は12ページ余。徳川幕府への評価も「皇室を大切にせず、わがままなふるまいが多くなった……」と否定的な筆致が少なくない。

 歴史小説に詳しい文芸評論家、縄田一男さんも明治政府の影響を指摘する。「徳川を倒し、明治政府の権力を握ったのは、『関ケ原の戦い』で家康に敗れた外様の薩摩、長州両藩の人たちです。新権力者としても、家康や江戸幕府を悪者にすることが不可欠だった。その影響が今も大きい、と見るべきです」

 縄田さんは、家康の“名誉回復”がなされたのは50〜67年、東京新聞などに連載された山岡荘八さんの長編小説「徳川家康」がロングセラーになってからだと指摘する。「この歴史小説で家康は平和を求めた人物として描かれ、世の中の家康像が変わりました。でも、正当な評価にはまだまだですね」

2016/10/08

川越まつりの楽しみ方 【+10】

川越まつりの楽しみ方 【+10】 川越市チャンネル


お休みは「祭り茶屋」で

  • 10月15日・16日  10時~20時
  • 湯遊ランド1階 新富町1-9-1
  • (By coursety of) 祭り文化研究会、ホテル三光、NPO武蔵観研






川越まつりコラム

2016/10/07

『徳川時代の意義』 幕府と会津藩の関係語る

未来へ発信『徳川時代の意義』 若松で幕府と会津藩の関係語る
2016年10月07日  福島民友 highlighter 


 265年に及ぶ平和を築いた徳川時代を研究し、知恵や歴史的意義を未来に発信する「徳川みらい学会in会津」は6日、会津若松市で開かれた。基調講演や鼎談(ていだん)が繰り広げられ、市民ら約400人が徳川家と会津のつながりに理解を深めた。静岡県の静岡商工会議所、徳川みらい学会の主催、会津若松商議所の協力。

 みらい学会は徳川家康の没後400年を記念し静岡商議所が事務局となって2013(平成25)年に設立。これまで静岡県で活動してきたが、徳川ゆかりの地で学会を開こうと、静岡県外で初めて開かれた。

 1部は、同学会長・東大名誉教授の芳賀徹氏(85)が「徳川の平和」を演題に基調講演。徳川幕府が取り組んだ幕藩体制、外交政策、都市や農村の風俗画を例に、「徳川の治世は平和ゆえに円熟した文明が広がった。豊かな文化から平和を感じてほしい」と語った。

 2部は「徳川家に息づく会津の魂」をテーマに、徳川宗家18代当主の徳川恒孝(つねなり)氏(76)、会津松平家14代当主の松平保久(もりひさ)氏(62)、歴史学者・国際日本文化研究センター准教授の磯田道史(みちふみ)氏(45)が鼎談。幕府と会津松平家の関係、会津藩の武力や思想、教育などで活発な発言が飛び交った。

 徳川氏は「全国で会津だけは他と違う印象を受ける。会津の精神を守るため、子どもの教育に歴史を取り入れて」と求めた。松平氏は「『先人の遺徳を顕彰する』とは先人を学び、後世に伝えることである。子どもたちには会津藩の『什(じゅう)の掟(おきて)』を基にした『あいづっこ宣言』の精神を受け継いでほしい」と語った。

 徳川家と会津の関係は、2代将軍秀忠の子で会津松平家初代藩主となった保科正之から深まり歴代藩主が忠義を貫いた。18代当主の徳川氏は、幕末の会津藩主松平容保(かたもり)のひ孫に当たる。

2016/10/06

訪日客増へ観光競争力 ガイド資格など規制緩和


訪日客増へ観光競争力 ガイド資格など規制緩和
旅館はツアー販売しやすく
2016/9/18 nk highlighter

 政府は訪日外国人客を一段と増やすため、観光の規制緩和やインフラ整備を急ぐ。訪日客向けの有償ガイドを無資格でできるようにするほか、ホテルや旅館が地域を周遊する旅行ツアーを販売しやすくする。大型クルーズ船が寄港できる港湾の整備や、道路や鉄道の行き先表示の多言語化などにも対応。訪日客に日本での楽しみ方を増やす狙いで、2017年に集中的に実施する。


 訪日客は15年度に2000万人を突破した。
政府は20年に4000万人にする新目標をたてた。
ただ客数は世界的な景気の動向や為替相場にも左右されやすく、足元で伸びがやや鈍っている面もある。規制緩和とインフラ整備の両面で訪日客の取り込みをはかる。

 通訳ガイドの拡充はその柱。通訳案内士という国家資格がないと、有償のガイドができない。事実上の業務独占となっているため、資格を持たない人でも訪日客からお金をとってガイドできるようにする。観光庁の検討会で詳細を詰め、16年度中に法改正案を国会に提出する。

 現在の通訳案内士は、英語の通訳が7割を占め、4分の3が大都市を拠点に働いている。今後も通訳案内士という国家資格は残すが、事実上無資格で案内できれば、英語以外の言語の使い手がガイドになったり、地方限定で観光地を案内する人を増やしたりできそうだ。観光庁は訪日客の安全のため、悪質なガイドが増えない仕組みづくりも検討する。

 規制緩和策として、地域を限ったパック旅行や体験ツアーも売りやすくする。ホテルや旅館が地元の名所を巡るなどの旅行商品の企画・販売をするには旅行業の登録を受ける必要がある。営業保証金や基準資産といった登録要件が厳しく、参入業者は限られていた。観光庁では観光業界の要望をもとに要件を緩和し、簡単な手続きで旅行企画を売れるようにする。17年までに必要な法改正案を提出する。

 訪日客の増加に伴いトラブルも多発している。宿泊や運送手段を手配するランドオペレーターと呼ばれる業者が、利益優先で質の低い旅行商品を販売。観光庁は業者を登録させて実態を把握し、指導・監督の制度を整える方針だ。旅行業者の適格性や関連商品の品質確保にも力を入れる。

 訪日客が観光しやすいインフラ整備も課題
国土交通省は高速道路に路線番号をつけ、外国人でもレンタカーで周遊しやすいようにする。外国人のクルーズ船利用に対応し、貨物用の港に入国審査の施設をつくる規制緩和も検討中だ。

 国連によると、国際観光客は毎年5%程度増えている。だが、日本の観光規制は60年以上前につくられ、時代の変化にあわない。政府はより深く日本を知り、日本の生活習慣や伝統に触れたいという訪日客のニーズにきめ細かく対応する。

群馬県出身の角田柳作、日米史に足跡。コロンビア大で日本学

センセイと慕われた日本人 群馬県出身の角田柳作、日米史に足跡

角田柳作らの尽力により、日本関係の書籍約33万冊を所蔵する米コロンビア大C・V・スター東亜図書館=2月(共同)
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 一九二〇年代から六〇年代に米ニューヨークのコロンビア大で「日本学」を教え、ドナルド・キーンさん(94)ら一流の研究者を育てた日本人がいた。県出身の角田柳作。「センセイ」と呼ばれ尊敬を集めた角田は、日本ではあまり知られていないが、日米の相互理解を深める上で歴史に大きな足跡を残した。
 県立土屋文明記念文学館(高崎市)は十二月十一日まで、角田の業績を振り返る特別展を開催。十六日にはキーンさんの講演も予定されている。

◆米国に初の研究所

 「コロンビア大学で『センセイ』といったら、角田柳作先生のこと」。キーンさんは六二年、日本の月刊誌に「ニューヨークの一人の日本人」と題する随筆を寄稿して角田を紹介。未知の日本思想を教わることでいかに知的な刺激を受けたかを、角田への温かい敬意を込めてつづった。
 角田は津久田村(現渋川市)出身。福島県や宮城県の中学で教壇に立った後、ハワイで日系人が学ぶ中学の校長を務めた。さらに米本土へ渡り、コロンビア大などで学んだ。
 角田は米国で、日本に関する研究が中国研究と比べ遅れていることを残念に思った。二七年に帰国して資金や書籍を集めるなど奔走し、二八年にコロンビア大に米国初の日本文化研究所を設立、所長兼日本文化講師に任命された。しかし四一年に始まった太平洋戦争では「敵国人」として一時拘束されるなど、日米史の荒波にも翻弄(ほんろう)された。

◆熱心な指導、学生を魅了

 角田が教えた「日本学」は日本の歴史、宗教思想、古典文学などを網羅していた。コロンビア大のジェームズ・モーレイ名誉教授(政治学)も影響を受けた一人だ。
 太平洋戦争中、モーレイさんは首都ワシントンで日本海軍の暗号解読に従事した。「艦船の位置を割り出し、船を沈める手助けをした。気が重かった。二度と戦争はごめんだと思った」。終戦後、日本について学ぼうとコロンビア大に進み、角田に出会った。
 角田は温厚な人柄と講義への丹念な準備、熱心な教え方で学生を魅了した。「圧倒された。センセイは私に最も大きな影響を与えた一人だ」
 九十七歳になる今も、コロンビア大で東洋思想の講義をするセオドア・ドバーリ特任教授も「センセイは非常に穏やかで静かな人だった」と振り返る。ドバーリさんとキーンさんが角田の講義録を編集した上下二巻の「日本思想の源泉」は、米国の多くの大学で日本文学の教科書として使われた。
 コロンビア大は六二年、角田に名誉文学博士号を授与。角田は老後を日本で過ごすため住み慣れたニューヨークを六四年に離れたが、帰国途上のハワイで病に倒れ、帰らぬ人となった。(ニューヨーク・共同=尾崎元)
<角田柳作> 1877(明治10)年1月生まれ。東京専門学校(現早稲田大)文学科卒。1903~09年福島県立福島中学校と宮城県立仙台第一中学校で英語と修身を教える。09年本願寺ハワイ中学校長。17年にニューヨークに移り、28年コロンビア大に「日本文化研究所」を設立。60年勲三等瑞宝章。62年コロンビア大から名誉文学博士号。64年11月、ハワイ・ホノルルで急性肺炎のため87歳で死去。(ニューヨーク・共同)

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  1. Columbia University   (日)
    Columbia Japan Society
    Ryusaku Tsunoda   角田柳作の基層  角田柳作 教え子はドナルド・キーン

2016/10/05

大隅良典「オートファジー」でノーベル賞。がん。アルツハイマー。脂肪肝。糖尿病。【動画】

大隅良典「オートファジー」でノーベル賞。がん。アルツハイマー。脂肪肝。糖尿病。 


時論公論:オートファジー:ノーベル賞 大隅良典・東工大【細胞の寿命】

※オート ファジー(Autophagy) 自食(しょく)作用
「自分」を「食べる」こと。ギリシャ語。
オート ファジーにより、がん、アルツハイマー、脂肪肝、糖尿病などがなおるとも。
絶食をすると、オート ファジー効果で老廃物が分解され、細胞が若返るとも。


大隅良典  ウィキペディア


2016/10/03

「もんじゅ」が廃炉について、田原総一朗

http://blogos.com/article/192562/ 2016/10/3 田原総一朗

「もんじゅ」の廃炉が決まりそうです。

「もんじゅ」とは、福井県敦賀市にある
研究用の高速増殖炉のことだ。

この高速増殖炉は、ずっと「夢の原子炉」と言われてきた。

燃やした「燃料」を再処理して、原発の燃料として再使用することで、
際限なく循環させることができるからだ。


日本はエネルギー資源に乏しい国だ。
だから、高速増殖炉は日本の原子力行政が
始まった1950年代から、
「国策」として位置づけられてきた。

「もんじゅ」はその研究開発用の原型炉で、
1994年には初臨界に達している。

しかし、その後の経緯は、はっきり言って、
お粗末としか言いようがない。

1995年にナトリウム漏れ事故が発生する。

しかもその事実を、当時、運営母体であった
動燃(動力炉・核燃料開発事業団)が
隠蔽していたのだ。

それだけではない。
事故の様子を撮影したビデオの一部を隠し、動燃の担当者が自殺するという悲劇も生んでいる。

その後、もんじゅは運転を休止するが、
2010年に試運転を開始。

だが、今度は部品の一部が落下し、
またも運転休止となった。

2012年には原子力規制委員会が、
規定に基づく機器の点検漏れが9679個もあったと発表した。

約1兆円もの国費を投じながら、
こうして、もんじゅの失態は続いてきた。

結局、運営の受け皿が見つからず、
廃炉を含めた開発の見直しが行なわれることになった。
技術的なことはさておき、あまりにもひどすぎる結末と言えよう。


僕は2年前に、当時の文科大臣だった
下村博文さんや担当の官僚に
「もんじゅ」について取材している。
当時、下村大臣は
「もんじゅの稼働を目指す」
と明言していた。
しかし、その言葉に僕は正直、現実味が
感じられなかったのだ。

原子力規制委員会は、
もんじゅの新たな運営母体である
日本原子力研究開発機構が
点検を怠ったのを重大な規定違反だとして、
点検計画のやり直しを命じていた。

つまり、原子力規制委員会の安全確認を
クリアしないと動かせない。
そんな状態で1、2年での再稼働の
見込みはないと思ったのだ。

もうひとつ縦割りの弊害もあった。
「もんじゅ」は文科省の管轄だ。
一方、原発などは経済産業省の管轄だ。
この縦割りの弊害も大きかったのでは
ないかと僕は思っている。


「もんじゅ」の廃炉は当然だと思う。
だが、では日本にすでに溜まっている
1万7千トンもの使用済み核燃料を
いったいどうするのか。
その処理問題を置き去りにして、
原発の再稼働をするのは
やはり無責任というものだろう。

フランスとの技術提携で、
新たな高速炉の開発もしているようだ。
しかし、もっと真剣に向き合ってほしい。
お粗末すぎた「もんじゅ」の運営は、
日本の原子力問題の象徴と言っていいのだ。

2016/10/01

『文明の生態史観』で知られた梅棹忠夫さんは…

『文明の生態史観』で知られた梅棹忠夫さんは…
 世界日報  2016/9/29  highlighter

 『文明の生態史観』で知られた梅棹忠夫さんは、晩年の2006年11月、大手前大学で開かれた比較文明学会で、後学の川勝平太、小林道憲、安田喜憲の3氏からその史観を批判された。

 3人のパネリストに共通していたのは、文明は独自にではなく、交流によって発展したというもの。梅棹さんは時の流れを痛感し、批判に耳を傾け、賛辞を送って彼らの見解を受け入れた。

 小林さんの『文明の交流史観』には、紀元1、2世紀、古代ローマによって確保されたインドとの通商関係が描かれている。同じころ漢も南シナ海からマレー半島を経てインドに至る南海貿易ルートを確保

 この海のシルクロードは陸のそれよりもっと繁盛していたようで、南インドの諸遺跡からはローマの金貨が大量に出土。各地にはローマ商人の居留地があり、彼らはさらに南シナ海を北上して漢まで達していた

 古代南海貿易の実態を伝える史料の一つに、1世紀半ばにギリシャ語で記された『エリュトゥラー海案内記』がある。訳者の村川堅太郎さんの解説によると、インドで出土したローマ貨幣は帝政以降のもの。イエス・キリストの時代だ。

 ところで先日、沖縄県うるま市の史跡「勝連城跡」から古代ローマの貨幣が出土したと発表された。4世紀半ばのものという。いつ、どのように持ち込まれたか分からないが、東西文明交流の道はここまで来ていたのだ。

ユーザベースがシンガポールにこだわる「もう一つの理由」

ユーザベースがシンガポールにこだわる「もう一つの理由」
2016/09/29 forbes

「シンガポールに引っ越しをする際、日本から猫を連れてきたんですけどね。電話一本かけることなく、支払いまですべてオンラインで手続きができたんですよ」

いったい何の話? と思われるかもしれない。

声の主は、今年3月よりユーザベースのシンガポールオフィスで働く川端隆史。外務省勤務から証券会社を経て、ASEANのスペシャリストとしてユーザベースに入社した、異色のキャリアの持ち主だ。

ユーザベースは2008年創業。企業・業界情報プラットフォーム「SPEEDA」と、ソーシャル機能を兼ね備えた、経済ニュースプラットフォーム「NewsPicks」を手掛け、シンガポールをはじめアジアに4つの拠点を持つ。9月中旬、東証マザーズへの新規上場が承認されたことも、話題を呼んだ。

冒頭のエピソードは、「シンガポールという国の特性が、ユーザベースの事業にどうマッチしたか」に話が及んだ際、川端が口にしたもの。

川端は、シンガポールを「古いインフラのない国」と表現する。国民のスマートフォン所持率は約9割。政府が2014年にスマートネーション構想を発表してからというもの、ありとあらゆるものをスマホに適用させようとする姿勢が国全体を貫く。

川端が驚いたのは、猫の一件だけではない。政府系のサイトも、ほとんどがスマホに対応している。シンガポールでは、テレビや紙媒体の広告よりインターネット広告の方が高く売れることも珍しくないことを知った。より効果のある方にお金をかける、というシンプルな考えでビジネスが進む。

「一般の人々のIT感度の高さ、デジタルに対する垣根の低さは他のASEAN諸国では、ちょっと考えられない。我々も、それを見越した対応をしていく必要があると思うんです」

「土壌」はあった。では、「戦略」はどのようなものだったのか。SPEEDAのシンガポールでの立ち上げ当初から現地で働く伊野紗紀と川端の話を聞いていると、「早い段階で切り替える」という言葉が一つの鍵である気がしてきた。

多国籍国家の強みに目をつけて

ユーザベースが海外展開を始めたのは、創業からわずか6年目の2013年のこと。

「海外のウエイトを高めないと、すぐに成長の限界が見えてしまう。SPEEDAのようなデータサービスは、欧米やアジアにも競合がいるので、彼らと同じような考え方の土俵に乗っていかないと。経営陣は、“必要投資”とし てかなり早いタイミングで思い切って判断したんだと思います」(川端)

日本語版のインターフェイスしかなかったSPEEDAに英語版のインターフェイスと海外の企業のデータを入れることで、グローバル版のSPEEDAは出来上がった。

最初に門を叩いたのは、シンガポールにある日系企業。「でも」と、伊野は続ける。

「日系企業だけではその数は知れている。そこを早い段階で切り替え、(共同経営者の)新野を中心に、海外事業の成功=ローカルマーケットを取りに行く、という目標を掲げました」

ローカルのセールス担当を採用し、グローバル版SPEEDAをローカル企業に売り込む。当時はまだ海外企業のデータが限られていたため、データベースだけで勝負していくのが難しい状況にあった。そこで付加価値としてつけたのが、「リサーチサービス」だ。

シンガポールのビジネスパーソンは、ASEAN各国を広く見ている。「そこで、ASEAN各国出身のアナリストたちを採用し、『SPEEDAにないデータは、アナリストたちがリサーチする』というパッケージとして売っていきました」

現地の言葉と英語ができる人材を採用することができたのは、シンガポールが多国籍国家であったから、と伊野は言う。マレーシア、タイ、インドネシア、ベトナム、中国、インド……。いま、ユーザベースのシンガポールオフィスには、6か国以上の国籍の人々が集まる。これは、シンガポールだからこそ。

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「これが、タイだったらタイ人しか集まらなかったかもしれません」。実際にオフィスに行ってみると、「どんな国籍の人がいてもおかしくない国」という二人の言葉を肌で感じられる空間が広がっていた。

現在、海外オフィスの売上げは、全体の約10%を占める。この数字をぐっと押し上げるための条件が、シンガポールには備わっている。


■私たちが考えるシンガポールの3つの魅力

1. 多国籍国家であること  
どこの国の人がいても気にしない、気にならないという空気に満ちている。それが、とても心地いい。「言い換えれば、ビジネスにおいては配慮されない。実力で見られる国」(川端)。

2. 政府による民間企業の後押し
政府機関が明確な目標を立て、民間企業の後押しをしている。「年度ごとに海外に送り出す民間企業の数を明確に掲げるなど、一丸となってこの国を発展させようとする強い思いがある」(伊野)。

3. 治安が圧倒的にいい
家族が安心して暮らせるのは大きな魅力、と日本のビジネスパーソンは一様に口にしているのだとか。

■ビジネスに役立つ! 私たちのおすすめ情報

-会食に使うレストランは?
ハイディーラオ(海底撈火鍋)クラークキー店 / なかなか予約の取れない火鍋料理の店。朝6時まで営業している。昨年、東京・池袋にも日本一号店がオープンした。

-打ち合わせに使うカフェは?
スターバックス ワン・フラトン店 / マリーナベイサンズの対岸に位置する。チェーン店ながら、非日常を味わえる特別な場所。
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-シンガポール定番のお土産と言えば?
ムーンケーキ(月餅)。毎年8月の終わりから9月にかけて、中秋節のお祝いとして月餅が発売される。写真は、高級ホテル「フラトン」で販売されているもの。シーズン限定で、月餅用に特別カウンターを設けているホテルも。
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■Information
世界各国のメディア関係者が一堂に会す「シンガポール・メディア・フェスティバル」は、11月23日~12月9日までマリーナベイサンズで開催。12月7日〜12月9日には、映像コンテンツの見本市「アジア・テレビジョン・フォーラム」も。
https://www.jetro.go.jp/j-messe/tradefair/ATF2016_51579

米高級ホテルのリッツ、日光進出 訪日客に照準

米高級ホテルのリッツ、日光進出 訪日客に照準
2016/9/28 nk highlighter

 米高級ホテルの「ザ・リッツ・カールトン」が栃木県日光市に進出する方針だ。中禅寺湖畔に約2万平方メートルの土地を持つ東武鉄道と組み、2019年にも開業する。日本では東京、大阪、京都などに次ぐ拠点になる。16年の訪日客が2000万人を超える見通しのなか、地方にも広く外国人客が来訪していることに対応する。

 東武鉄道が1月に営業を休止した日光レークサイドホテルの跡地を活用する。日光湯元温泉から源泉を直接引くこともでき、世界遺産となっている日光東照宮などにも車で30分程度の場所にある。新設するホテルの規模、運営方式については、リッツ・カールトンを運営する米マリオットグループと東武鉄道が調整している。

 リッツ・カールトンはすでに東京、大阪、京都、沖縄に拠点がある。20年までに北海道ニセコ地区にホテルを建設することを表明しており、日本での事業拡大を進めている。

 日本政府観光局によると、今年1~8月の訪日客数は1606万人と前年同期比25%増えている。滞在先も多様化しており、観光庁の調査では、外国人宿泊者数のうち、「ゴールデンルート」といわれる東京、大阪、京都の1都2府以外の割合が15年は5割を超えた。20年の東京五輪に向け、訪日客がさらに増え、滞在先が地方に広がるとみられている。

 東武鉄道は、世界の有名建造物の模型を展示するテーマパークといった観光拠点を沿線の日光・鬼怒川地区に抱える。同地区には世界遺産である日光東照宮などの観光名所もある。17年夏には蒸気機関車の営業運転を復活させる。地域の魅力を高め、訪日客の呼び込みも強化している。

 同社は8月下旬には、地元名門リゾートホテルを手掛ける金谷ホテル(日光市)を今月30日付で買収すると発表。グループの相乗効果を高める施策を矢継ぎ早に打ち出している。

関東三大祭り「川越まつり」開催!

10/15(土)、16(日)、関東三大祭り「川越まつり」開催!  豪華絢爛、山車の競演が見事!
     
2016/9/28 asahi highlighter

 江戸の城下町として栄えた頃から「小江戸川越」と呼ばれ、今も昔ながらの町並みが残る「川越」。
そんな川越は、情緒あふれる観光スポットとして人気の街ですが、一番盛り上がるのが、毎年10月第3土曜、日曜に行われる「川越まつり」です。関東三大まつりのひとつと言われ、昨年の来場者数は90万人以上にも!
江戸時代から脈々と続く秋まつりの真髄を、ぜひご紹介しましょう。

発祥から360年。大江戸の天下祭が今も続く

川越まつりの発祥は、今から約360年前の江戸時代。

当時の川越藩主・松平信綱が氷川神社に神輿などを寄進し、祭礼を奨励したことが起源と言われています。江戸の城下町であった川越は、その風習や風流をいち早く吸収し、栄えた街。川越まつりも、江戸の天下祭を習い発展し、川越独自の文化と融合していきますが、今もその儀式やしきたりは、江戸の文化・文政時代の申し合わせがルーツとなっているとか。
江戸の祭礼 ── 天下祭と言えば、見事な江戸型山車(だし)が競演し、囃子(はやし)や踊りが市中を練り歩く賑やかなお祭り。粋な江戸っ子たちの揚々とした姿が目に浮かびます。
そんな江戸文化が生んだ祭礼は、明治以降の東京では、さまざまな理由で衰退していきます。
しかし城下町・川越に、その祭りの文化は残りました。川越まつりは、華やかな江戸天下祭を今に再現する、貴重な都市祭礼なのです。

*華やかな山車の競演。江戸時代から現存するものも

川越まつりの特徴は、やはり豪華絢爛な山車です。
高さ8mはあろう山車には、それぞれ牛若丸や弁慶など、ご神体である人形が飾られています。神の化身でもある人形は、神話や能、歴史上の人物などさまざま。なかには江戸時代に造られたものもあります。
ひとつひとつの山車は、飾られている人形の持つストーリーに合わせてデザインされており、黒、赤の漆や金箔、そしてあざやかな刺繍が施されています。ここまで立派な山車が揃う祭りは、関東でも滅多にお目にかかれないでしょう。

*市中を巡回する山車。囃子の音色も軽やかに

山車は全部で29台。その年に登場する山車が一堂に集まるのが、昼(大体午後2時頃)の川越市役所前です。豪華絢爛な揃い曳きは見事なので、山車を見比べたい方はぜひ、市役所前へ行ってみましょう。
川越まつりは昼と夜に分かれていますが、昼の楽しみは、山車の巡回。
山車には、笛、大太鼓、小太鼓、鉦の五人囃子と踊り1人の6人が乗っており、軽やかな音色とさまざまな面をつけて踊る姿を披露しながら、市中を巡ります。

夜の見どころは、曳っかわせ。祭りの高揚は最高潮へ

そして夜になると、山車に提灯の明かりが灯り、一気に幻想的な雰囲気に変わっていきます。
川越まつりが最高潮に達するのは、「曳っかわせ(ひっかわせ)」と言われる山車の競い合い。
各交差点で2台、3台と山車が出会うと、回転式の囃子台が回り、囃子や踊りで競い合います。笛や太鼓の音と踊りがしばらく続くなか、まつり人たちは、提灯を揚々と振り上げ、歓声あげます。夜の部は午後6時半頃から9時頃まで。
恍惚とした祭りの雰囲気は、秋の夜長にぴったりの、忘れがたいひとときになるはず。
昼と夜の二つの楽しみがある川越まつりに、ぜひ、訪れてみてはいかがでしょう。
なお時間については、日にちや都合により変更される場合もあるので、公式ホームページをチェックしてからお出かけください

2016/09/30

シンガポールでは幼児もバイリンガル教育が常識


シンガポールでは幼児もバイリンガル教育が常識!
ダイヤモンド  2016年9月27日 花輪陽子 highlighter

幼少期の英語教育が充実するシンガポールを見ると、
英語教育のための早期の“投資”の必要性を実感!
シンガポールの小学校は、授業を英語で実施!
英語ができなければ、いい学校や会社に進学・就職ができない!

  ファイナンシャル・プランナー(FP)の花輪陽子です。

 シンガポールに住んでいて、常々すごいと感じているのが英語教育です。地元の幼児向けの学校では、1歳半から英語と中国語のバイリンガル教育を行う環境が整えられています。さらに、小学校からは母語(中国語、マレー語、タミール語)を除いて、全科目の授業が英語で行われます。

 シンガポールの小学校には卒業試験があるのですが、試験の結果次第でその後の進路が決まるため、ベースの英語ができないと良い進学や就職ができません。英語ができなくてもこなせそうなイメージのある仕事(例えばタクシードライバー、ベビーシッターなど)でも、稼ぎたいと思うなら絶対に英語ができたほうが好都合なので、多くの人は流暢に英語を話します。日本で中学生から英語を学んだ身としては、圧倒的な年季の差を感じさせられます。

2020年からは、日本の英語教育環境も大きく変わる予定です。小学校の外国語教育が始まるのは、従来の5・6年生から3・4年生に前倒しになるとともに、5・6年生からは英語が正式教科になり、授業数は週2コマに増え、大学入試にも「スピーキング」が導入される予定とのことです。

 この大改革で、ようやく日本の英語教育レベルも世界標準に近づいていくことになりそうですが、シンガポールと比較すると、学校や生活の場での英語に触れる機会は、圧倒的に少ないと感じます。

 日本人で海外留学する人は、他国と比較しても多くないとされますが、その理由として、金銭面以外に「英語力不足」が挙げられるようです。つまり、英語力が不足しているがために、海外の大学に進学したくてもできない人が少なくない、ということです。

 世界の「一流」とされている大学では、「IELTS」や「TOEFL iBT」といった国際的な英語能力の検定試験で、ハイレベルのスコアを求められることが多く、さらにスピーキングの試験もあります。よって、海外で暮らした経験のない日本人が海外の大学を目指す場合、英語でつまずくのは無理もない、と言えます。その点、幼少時からの英語教育が進んでいるシンガポーリアンであれば、英語力が壁となって留学できない、ということはまずありません。

 ちなみに、「バイリンガル教育は子どもの脳にもよい」という海外の研究結果もあります。そのせいというわけでもないかもしれませんが、シンガポーリアンは勉強という面では本当に優秀だと感じます。

子どもに英語力を身に着けさせたいなら
親も一緒に学習するのが手っ取り早い!


 もし、日本人がシンガポーリアンと同じような英語教育をしようと思うと、お金はどれくらいかかるのでしょうか?

 シンガポールで暮らしている日本人でも、こちらは日本人コミュニティーが非常に大きいために、相当意識をして英語に触れる環境を作らないと、ほとんど英語が身につかないということにもなりかねません。


写真は、わが家にある英語の教材や本。一つひとつは1000~2000円程度ですが、どんどん量が増えていっています。
 言うまでもないことかもしれませんが、外国語習得のためには、その語学に触れる機会をできるだけ多く作ることが必須です。ネイティブスピーカーに話しかけられる機会を作るには、友達を作るのが一番有効であり、なおかつ経済的でもあります。

 また、子供の英語学習のためには、やはり親も一緒に学んだほうがベターです。英語の本を読むなどすれば一緒に学ぶこともできますし、家庭教師代やスクール代も節約できるからです。

 日本のサービスだと、テレビ電話やSkypeなどで行うオンライン英会話レッスンは、1回(25分前後)当たり200円前後(プラン、講師による)からあります。そういった安いプランの場合、1日1回利用しても月6000円程度でできるので、比較的ハードルは低いです。

無料でリスニングの学習をしたいならYouTube
毎日耳で聞き、英文を読み、話す機会を作る


 それよりも値段は上がりますが、英語で習い事をしたり、インターナショナルスクールのホリデープログラムを活用する、という方法もあります。

 わが家の場合、私自身と子どもの英語のレッスンも兼ねて、シンガポールにある英語の幼児教室に通っています。2歳児クラスでは挨拶、天候、数や形、動物の名前や鳴き声などから学んでいます。スクールやその場所で知り合う母子とのやりとりにより、親子ともに英語力が鍛えられるので一石二鳥です。このように、外国人が多い幼児教室や完全英語の幼児教室は日本にもあり、1回数千円で受講できる場合が多いです

 また、インターナショナルスクールのホリデープログラムも、完全に英語環境の中に身を置くという意味では、良い選択肢と言えます。ただ、インターナショナルスクールのホリデープログラムは、日本でもシンガポールでも、1日当たり1万円前後のことが一般的なので、決して安いわけではありません。しかし、さまざまな国の子どもと一緒に学ぶことができ、なかには多様なイベントが組み込まれていて、子どもにとっても楽しいプログラムが充実しているインターナショナルスクールもあるので、選択肢の一つとして検討する価値はあります。

 自宅学習だと、リスニングの練習には、テレビやCDなども効果的です。ディズニージュニアなど良質な英語番組は日本でも契約可能ですし、良質な海外の絵本や教材は、amazonなどで購入できます。むろん、YouTubeに挙がっている動画を利用すれば無料ですね。

 こちらに来て強く感じたのは、英会話もスポーツと同じで、日々トレーニングを継続しないと鍛えられないということです。野球やソフトボールが上手になるには、毎日の走り込み、素振り、キャッチボールなどが欠かせないと思いますが、英語力向上のためにも、テレビやラジオを英語で聞き、英語の記事を読み、メールやチャットをし、ネイティブスピーカーと話すことが重要なのです。

国際人として高い報酬を得る仕事をするには
必ずベースの英語力が求められる


 私は外資系企業で8年働き、さらにこの1年海外に住んで、さまざまな国のビジネスマンを見てきました。国際人として活躍するビジネスマンは多様なスキルを持っていますが、ベースには高い英語力があります。逆に言うと、英語ができなければ色んな可能性への扉が閉ざされてしまいます。

 また、外資系企業のほうが給与も高いことが多いので、高い報酬を得るためにも英語力はあったほうがいいと言えます。私自身が以前ヘッドハンターに登録をしていたときの経験で言うと、外資系企業では20代でも年収800万円前後の求人はたくさんありました。

 これまで、英語は一部のキャリア志向の人の必需品というイメージでしたが、今後はそうも言っていられなくなると思います。日本国内の消費のみに頼ってこられた時代は、日本語だけで十分仕事ができましたが、生産労働人口の減少に伴い、国内の消費のみに頼るのは徐々に厳しくなると考えられるからです。

 英語教育自体は小学校3年生から学ぶだけでもギリギリ間に合うかもしれませんが、発音を正しく身につけるには、小さい頃からスタートするほうが苦労は少ないでしょう。日本において発音は軽視されがちな気がしますが、発音が悪いと、正しい英語を話していても聞き返されることが多いです。

 また、いずれ学習をするのであれば、最初に投資をしたほうがその効果は長く続きます。私は高校時代から英会話に総額100万円以上投資してきましたが、未だになかなか思うレベルにはならずに苦労しています。そういう思いもあって、子供には早くから英語を教え始めています。

 今後、ますます自動翻訳などの精度が上がり、今までより語学のハードルが低くなるとは言われているものの、現段階では語学はできるに越したことはありません。海外に出てみると、日本以外の国の人達は英語を当たり前のように使いこなしているのだと改めて感じ、英語教育の重要性を再認識しています。

2016/09/29

訪日客取り込み、地域一体で インバウンドシンポ
2016/9/28 nk highlighter

 日本経済新聞社と日本政府観光局(JNTO)は28日、インバウンドシンポジウム「観光ビジネス大国へ~実装への課題~」を都内で開いた。

東京大学大学院の藤本隆宏教授は基調講演で「地方の観光地はエリア全体で伸びてきたところが多い」と述べ、「製造業とサービス業が学び合い、一体で取り組んでいくことが重要だ」と語った。


ものづくり経営研究センター 藤本隆宏


 高速バス大手のウィラー・アライアンスの村瀬茂高代表取締役は「地方で人口減少が進むなか、観光を中心とした街づくりの重要性が増す」と強調。アジアを中心とした訪日客の取り込みに向けて「訪日客が自国を旅行している感覚で日本を観光してもらう仕組みをつくることが重要だ」と話した。


WILLER GROUP 代表取締役 村瀬 茂高


 三井不動産の世古洋介・執行役員ホテル・リゾート本部長は「観光資源の有効活用や海外への情報発信などで集客が安定すれば地域の雇用創出につながる」と話した。その成功例として三重県志摩市に誘致したアマンリゾーツの高級ホテル「アマネム」を挙げた。


アマネム公式サイト
三井ガーデンホテルズ

 「ゴールデンルートから地方へ~インバウンド消費8兆円を目指して~」と題したパネルディスカッションでは、三菱総合研究所の劉瀟瀟(りゅうしょうしょう)研究員が「訪日客の消費行動の変化を意識することが必要だ」と話した。訪日客の関心が大量の買い物である「爆買い」から、日本ならではの体験に移っていると指摘した。

 兵庫県豊岡市では訪日客向けのWi―Fi(ワイファイ)のデータを取得し、国籍や移動経路などを分析中貝宗治市長は「訪日客が何を求めているかを把握し、より魅力的な観光素材は何かを考えて売り込むことが重要だ」と話した。


豊岡観光協会
中貝宗治


 里山再生などを手掛ける文化事業部(長野市)のセーラ・マリ・カミングス代表取締役は「地方には日本の良さが色濃く残っている。課題は多いが可能性は大きい」と話した。


セーラ・マリ・カミングス

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